大地の遺産活用事業「遺跡に見る戦い~中世の近江」
探訪「佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて」
佐々木(京極)道誉は南北朝内乱期に足利尊氏を助けて室町幕府の創立に貢献し、室町時代に京極氏が発展する基礎をつくりました。この道誉が本拠を置いたのが甲良町正楽寺です。山上に城郭を築き、山麓には菩提寺となる勝楽寺を建立しました。勝楽寺には道誉の墓と伝えられる宝篋印塔があり、また道誉の筆になるとされる寺号の扁額も伝わっています。
また、平安末期に位人臣を極めた平清盛にまつわる伝説が多賀町の胡宮(このみや)神社に伝わっています。清盛の父は、院の御所を守る北面の武士として白河院に仕え、武士として初めて昇殿を許された平忠盛です。しかし、本当の父親は忠盛ではなく白河院であることを記した古文書が神社に伝わっているのです。
そして胡宮(このみや)神社が建つ場所には、中世に繁栄を誇った巨大寺院敏満寺が建っていました。寺は織田信長によって滅ばされてしまいましたが、胡宮神社周辺に広がる敏満寺遺跡からは、当時の敏満寺の威容を示す遺構が多く発見されています。
この探訪では、甲良から多賀にかけて広がるこうした先人たちの足跡を訪ねます。
日 時 平成24年11月3日(土・祝) 9:30~15:30
日 程 【集合・受付】①JR河瀬駅東口 9:30 ②近江鉄道尼子駅 9:45 ※近江バス萱原線で正楽寺口まで移動
【行程】近江バス正楽寺口バス停→若一神社→勝楽寺→楢崎古墳群→大門池→(名神高速道路多賀SAにて昼食)→
敏満寺城跡→敏満寺跡・胡宮神社→多賀大社 約10km
定 員 50人(事前申込、先着順) 実費負担 参加費 200円(拝観料)
近江鉄道尼子駅~正楽寺バス停
勝楽寺の導譽絵図(掛け軸)
勝楽寺から、古社寺街道を通り・・・樽崎古墳探訪へ
樽崎古墳
胡宮神社
高速道路の下の仁王門址の説明板
仁王門跡の礎石の上を名神高速道路が・・
説明に耳を傾ける参加舎50人
敏満寺集落から、多賀サービスエリアへ
多賀サービスエリアで昼食。
多賀サービスエリアの敏満寺城跡の説明銅盤
スタバの裏の石垣。
土塁の中は(公園・ドッグラン設置)
敏満寺城跡の石碑
下り線沿いに神戸方面へ
フェンスを開いて、胡宮(ものみや)神社へ
胡宮とは、古いお寺、非常に気高く尊いお宮という意味である。
神社の背後には青龍山という神体山がる。その山頂近くには磐座があり、またどんな旱魃のときにも枯れない古井戸がある。
胡宮神社の祭神は日本最初の男性と女性の神様である伊邪那岐命・伊邪那美命の子である事勝国勝長狭命で、五穀豊穣を司る神様である。
胡宮神社は湖東三山と並ぶ敏満寺の遺跡でもあり、典型的な神宮寺の形を残している。
http://japan-geographic.tv/shiga/taga-konomiyajinja.html
胡宮神社の宝物【重源書状】
平清盛御落胤伝説
胡宮神社の宝物【仏舎利相承図】に清盛の名が・・・。
ここに【清盛】の名が!
「神の森の頂上へ570m、ここからいわくらのみち」という標識がある。ここが青竜山の登山口である。
鈴鹿山脈の琵琶湖側には南から永源寺、湖東三山といった古刹が並ぶが、青竜山はその北にある333mの小高い山である。
この山は、全体が御神体であるという古代山岳信仰の霊山である。
創祀の年代は明らかでないが、背後の青竜山の巨石信仰に起源をなすという。
古来、多賀大社の奥院として旧敏満寺境内内に所在する。
もとは桜宮といい多賀町桜町にあったものを9世紀から10世紀前半の敏満寺創立のとき、守護神として現在地に移したと伝える。
治承4年(1180)、俊乗坊重坊が多賀大社に延命を祈って霊験を得、そのお礼として建久9年(1198)、当社に舎利塔を寄せた。
鎌倉時代には敏満寺の鎮護の神として栄え、また授子・授産の神としても崇められ、古くから僧や歌人をはじめ多くの人が祈願に訪れた。
多賀サービスエリアの下り線の建物裏に、残る「敏満寺城の土塁」(白く見えるの説明標)
尼子駅に戻りました。
近江鉄道、尼子駅
近江尼子氏発祥の地、甲良神社(甲良町尼子)は、徒歩10分近江の甲良庄 三大偉人、佐々木道誉(1296~1373) 勝楽寺、 藤堂高虎(1555~1630) 在士、甲良豊後守宗廣(1574~1646) 法養寺・・・・!
消費カロリー 723.3kcal 脂肪消費量 103.3g
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。