城郭探訪

yamaziro

籾居屋敷 近江国(米原市(旧近江町)戸)

2017年12月17日 | 居城

写真の説明はありません。

遺跡ウォーカーの比定地

お城のデータ

所在地:米原市顔戸町(旧坂田群近江町顔戸) 

   :遺跡ウォーカーの比定地は、向山map:http://yahoo.jp/5wJZCG

区 分:居館

現 状:宅地・向山(向山砦)、山麓(森林)

遺 構:屋敷跡・土塁痕・平削地

築築期:室町期

築築者:籾居氏

目標地:神郷集会所

訪城日:2017.12.9

お城の概要

 鎌刃城主土肥氏の被官が大字顔戸に住したと伝え、今も末裔が顔戸に住んでおられる。この現屋敷面積は約一反であり、北に日撫山をひかえ南は巾1.5m程の河川が流れる。東にはかつて巾2m、高さ1m程の大土塁が築かれていたと云う(今は駐車場となっている)。また、この土塁のとり付いた日撫山麓にはその痕跡認められると共に山の斜面三ヶ所に郭状の平坦面が存在する。更に東方100m余りの通称向山北側斜面、及び川と平地をへだて50m程向う側の日撫山の小舌状突出部(忠魂碑が建つ)にも郭状削平地が認められる。この削平地が点々と西方へと続き、籾居氏背後の郭状地につながる。また、現籾居家の南100m程の所には小溝(幅60cm)が複雑に曲がりながら廻る一画が存在する。

山麓の郭状平削地は、日撫神社の関わりかもしれない?。

お城の歴史

土肥六郎左衛門実勝とされ、源頼朝の家臣土肥次郎実遠の末葉で、足利尊氏の世に近江・美濃の野武士を平定して功があり。

 箕浦庄の地頭として下向した御家人とされ、番場・多和田・醒井に分住し、箕浦庄の三土肥と称した。

『土肥八人衆・土肥八軒衆』は、醒井(醒飼)氏・野瀬氏・江籐氏・野勢氏・池田氏・ニ国氏・籾居氏・堀氏の八軒を云う。

鎌刃城主土肥氏の被官籾居氏が箕浦庄顔戸村に屋敷を構えいた写真の説明はありません。

画像に含まれている可能性があるもの:家、木、植物、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外


遺跡ウォーカーの比定地は通称 「向山」

織豊期には、顔戸村の通称[向山は浅井長政の本陣が置かれた]

浅井長政によって、改変、近世には公園として整備

箕浦城の戦い・・・・向山砦(浅井の本陣)画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然

https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/959465850882657

参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査6旧坂田郡の城』、向山砦(浅井の本陣

本日の訪問ありがとうございす!!


最新の画像もっと見る