近江東海道中絵巻一(目川部分)
お城のデータ
所在地:栗東市目川689(遺跡ウォーカー) map;http://yahoo.jp/KSYPmB
区 分:居城
現 状:個人宅
築城期:1362年
築城者: 芝原右京進重兼
遺 構:不明
目標地:旧東海道「目川の立場(休憩所)」
訪城日:2017.2.16
お城の概要
旧東海道の目川の立場(休憩所)で、一里塚周辺と考えられる。
街道沿いには、道標や説明板・ウォーキングマップ説明板あり
京都新聞2017.2.18
お城の歴史
芝原氏代々の居城。
1362年、芝原右京進重兼が目川・坊袋・川辺の三村を与えられて目川に城を移したことが始まりとされる。
目川の地は旧東海道の草津宿と石部宿の間にあり、江戸時代には立場(休憩所)として栄えた。
城の位置は特定されていないが、街道を抑える微高地にあったと推定される。
『江州佐々木南北諸氏帳』には、「栗太郡 目河 住 井出左衛門剥尉」の名が見える。
膳所城移築門
移築され8日から一般公開が始まった、膳所城のものとされる城門(栗東市岡)
江戸時代、膳所城にあったとされる門が滋賀県栗東市林の寺から同市岡に移築され、8日、現地で竣工(しゅんこう)式があった。寺では山門が新築されたことから地元の酒店店主が譲り受け、この日から一般公開も始めた。
門は高さ約4メートル、幅約5メートルで、明治以降、同市林、長徳寺の山門として活用されてきた。膳所城は1663年の地震で大きな被害を受け、当時の藩主、本多俊次が改修を行った。門の瓦には本多氏の家紋「本多立ち葵」があしらわれており、この改修時に設けられた城門では、とされる。
同寺には、明治維新後に同城が解体となった際、移築されたと伝わる。老朽化が進んだため、寺は4年前に門の新築を決め、古い門は廃棄される可能性もあった。これを知った酒店店主、山本喜三雄さん(73)が、地元の町づくりに活用しようと譲り受けた。
式には地元住民ら約30人が出席。江戸時代に地元の田楽茶屋や酒について詠まれた句を刻んだ句碑の除幕も行われた。
山本さんは「(栗東市)林も岡も、もともと膳所藩の一部だった。歴史を生かした地域資源になれば」と話している。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査1・遺跡ウォーカー、さきろぐ、近江東海道中絵巻一(目川_部分)、現地説明板、京都新聞
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