築城期:室町時代
遺 構:曲輪・土塁・井戸
築城者:望月村島守重元
訪城日:2014.11.03 2014.11.13
古屋敷
丘陵東を削平して、東に開口部を設けた、三方土塁に囲われた居城!
望月村嶋城と望月青木城の尾根続き先を山麓に削平した二段の曲郭跡が残存する。
三方に土塁が巡っており、南西側が一番高く、その上に社が祀られていた跡がある。背後の尾根には堀切は見あたらない。
祠墓地
西端最高所より、村嶋城を望む(尾根続きだったが、大型造成で寸断)
歴 史
望月村嶋城主 望月村島守重元の次男重武の居城であった。
【佐々木南北諸士帳】に糀村城主 佐々木随兵 望月刑部左衛門 糀村城主 箕作随兵 望月出雲守の名が見える。
甲賀五十三家は、「鈎の陣」にて六角氏に味方した甲賀の地侍五十三家のことであり、後の甲賀流忍術の中心となった家々である。
- 望月家- 筆頭格。一族の著名人物として望月出雲守・望月吉棟・望月兵太夫・望月与右衛門がいる。望月出雲守の旧居が甲賀流忍術屋敷として残る。
館跡【上の削平地】
館跡【下の削平地】
下の曲郭
墓地への参道
その下の井戸
右側は大造成で寸断
柑子会議所前に案内板の正面。民家の脇から通じる道が付いている
村嶋支城より遠望
参考資料:甲賀の城、淡海の城、
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