伊賀国の藤林長門守城の支城
主郭は方形で土塁で囲う
お城のデータ
所在地 : 甲賀市(旧:甲賀郡)甲南町上馬杉字栢ノ木 map:http://yahoo.jp/4_-2SC
築城年:室町期
築城者:伊賀国・藤林長門守
区 分:丘陵城
遺 構:土塁・堀切・虎口・堀(池)
城 主:伊賀国・藤林長門守
標 高:265m 比高差:20m
目標地:伊賀・阿山 正覚寺・東湯船コミニュケーションセンター
駐車場:農道
訪城日:2015.5.8
農道を東に進み、突き当りを北へ
獣害フェンスから、栢ノ木城(フェンス内は作付け放棄地)のあぜ道を登り口まで
お城の概要
栢ノ木城・・・・は、上馬杉の南東端に所在し、近江と伊賀の境で、300m東は伊賀の阿山の藤林長門守城。
甲賀・伊賀で一般的な構造をした城で、栢ノ木の小盆地の東側に南西に張出した尾根の先端に築かれ、同盆地を抑える役割を担っていたと推測されている。
構造は、先端の頂部に四方を土塁を残し掘り込んだ主郭を置き、北西にのびる支尾根に二段の段郭を付帯させている。
主郭内側に櫓台状の土塁を築き北東の尾根続きは堀切aで遮断し、防衛ラインとしている。北東下に曲郭1・2を配置。
北側は、城下は堀(池)、南側は切岸状である。
藤林長門守城の出城・支城の感じである。
主郭動画 https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074?fref=photo
堀(池)
駐車位置から遠望
道案内・
栢ノ木城・・・・甲賀市高嶺から、三重県に入り、県道51号線の最初の右折路を西に登りの農道へ左折し、50m程入ると広々した農地が広がっている。その先30m程行き駐車する。北北東に60m程の丘陵(比高20m)先端部が城跡である。
歴 史
栢ノ木城・・・・は、構えから伊賀国の藤林長門守城の支城と考えられているが、詳細は不明である。
藤林氏は伊賀の上忍であったようです。藤山氏、服部氏は土豪であり、共に天正九年(1581年)の天正伊賀の乱では雨乞山に立て篭もったようです。
「藤林長門守城碑」前から遠望
藤林 長門守 (ふじばやし ながとのかみ、生没年不詳)は、戦国時代の忍者。
伊賀の上忍三家の一つ藤林氏の当主であり、伊賀北部で甲賀に境を接する湯舟郷を支配していた。
甲賀側にも多くの配下がおり、伊賀甲賀双方に影響力を持っていたとされる。服部氏の服部半蔵、百地氏の百地丹波と並び伊賀の三大上忍と呼ばれる。本名は正保、保豊など曖昧。
伊賀流の頭目という立場でありながら記録はほとんど残っておらず、その生涯は謎に包まれている。第二次天正伊賀の乱では甲賀の多羅尾氏ともに、織田氏の手引きをして生き残ったという説もあれば、織田の軍勢と最後まで戦い抜いた百地丹波と同一人物とする説もある。『藤林家由緒書』には今川義元に雇われていた際、武田信玄の軍師山本勘助に忍術を教えたという記録が残っている。
長門守の子孫、藤林佐武次保武が今に忍者の姿を伝える貴重な資料と呼ばれる『万川集海』を著している。
また現在、湯船郷には藤林姓が見られることから、これらの氏族は子孫の可能性が高い。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城、Wikipedia
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