お城のデータ
所在地:米原市(旧:坂田郡山東町)柏原町 map:http://yahoo.jp/9bnqHf
現 状:山林
区 分:砦
築城期:鎌倉期
築城者:高屋氏
遺 構:二重堀切・廓・堀底道・土塁
標 高:570m 比高差:200m(林道)
目標地:梓河内から林道稗谷線登り、八講師城を過ぎると土砂崩れため『通行止め』ですが、の柵の横下り、高屋砦への登り口を、に曲がるn字ヘヤピンカーブと右側に登り口
駐車場:登り口下の林道に路上駐車
訪城日:2016.3.27・2016.5.4
お城の概要
高屋城と高屋砦は林道で分断された。元は、高屋城から砦まで、二重堀が続いていたか?
高屋城砦へは、梓河内から林道稗谷線を登り、八講師城を過ぎると土砂崩れため『通行止め』ですが、の柵の横下り、高屋砦への登り口を、に曲がると右側新しい林道が切られている。新林道を徒歩で下ると、高屋城に至る
高屋城は柏原側の下尾根の谷部に延びる二重堀、これが山の斜面。
林道と尾根の間に二重堀を尾根に、未完成の平坦地になっています。ほとんど岩の無い斜面が続く、下部は土塁や横矢・空堀(城底道?桝形虎口構造)は、
高屋砦は、尾根の間の谷部に延びる二重堀、これが山の斜面に延々続いています。登ってきた尾根側と二重堀を挟んで反対側の尾根に城址碑があり、登ってきた尾根が落ち込んだところが不完全ですが平坦地になっています。ほとんど岩の無い斜面でありながら、
土砂崩れの林道
お城の歴史
伊吹町春照の善楽寺の寺誌には、「貞治元年(1362)4月道誉の弟五郎左衛門貞満、氏を高谷、又は高屋と称して、居を春捻に定む、今の春照なり。地領2000貫なり、6世の孫、子無きを以て、高嶋郡田中氏部の宗隆を養子とす。依りて文明3年(1471)氏を改め田中三佐衛門宗隆と称す」とある。
詳細不明の城で、京極氏の一族の高屋氏の居城とも伝わり、柏原や中世東海道(中山道)は監視出来そうだか?。北に800m程下った所に、出廓ある。