元亀元年(1570)6月28日、江北姉川で織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突しました。世に言う姉川の合戦です。姉川を血で染めたといわれうほどの大激戦でしたが、決着は付かず、この後両者の戦いは3年半にわたって続くことになります。合戦直前、両軍は姉川をはさんで南北に対峙します。北岸には浅井・朝倉軍が布陣しますが、この時朝倉氏が本陣を置いたのが三田村氏館といわれています。この他、姉川周辺には姉川合戦ゆかりの史跡が点在しています。
三田村氏館跡・土塁
姉川合戦の激戦地・血原に建つ石碑
今回の講座では、三田村氏館跡と姉川古戦場を、地元長浜市の文化財専門職員の案内でご覧いただきます
日時 平成25年9月28日(土) 10:30~14:45
長浜市立北郷里公民館集合(近江バス公民館前下車すぐ)
※近江バス市内循環線(南回り) JR長浜駅9:45発→公民館前10:14着
三田村氏館跡解散
※解散後、長浜養護学校バス停もしくは北郷里公民館まで職員が誘導します。
場所 講義:長浜市立北郷里公民館(長浜市東上坂町976-7)
現地探訪:姉川古戦場・三田村氏館跡)(長浜市東上坂町・野村町・三田町)
行程 北郷里公民館→陣杭の柳→血川→血原→三田村氏館跡 約5km(平坦道)
※ルート図
主催 滋賀県教育委員会 協力 長浜市教育委員会
講師 講義「姉川合戦と城郭」 上垣幸徳(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課)
現地探訪 長浜市文化財保護センター専門職員
朝倉景健の本陣は、この北西にあたる三田集落内の三田村氏館におかれ、徳川家康の本陣がおかれました。その中間にある当地は、両軍の決戦の地となった場所で、多くの戦死者の血で染まったので「ちはら」と呼ばれています。
刃長5尺3寸(約175センチ)の大太刀
刃長5尺3寸(約175センチ)の大太刀(説明板の上に)
両軍の戦いで、最も有名なのが朝倉軍の武将で、刃長5尺3寸(約175センチ)の大太刀を振るって奮闘した、真柄(まがら)十郎左衛門直隆の討死です。
最初徳川家康の家臣、向坂(さきさか)式部と渡り合っていましたが、途中からその弟の向坂吉政が十文字槍をもって助太刀に入り、真柄の首を討ち取ったと言われています。(『信長公記』には真柄の首を取ったのは青木一重と記されており、諸本によって多少異なるようです)
合戦直前の6月24日、浅井長政は援軍に来た朝倉景健と姉川の北方3キロに当たる大依山に布陣しました。合戦当日の28日未明、長政・景健の両将は姉川北岸に前進、織田・徳川軍と決戦を決断しました。朝倉景健の本陣は、この北西にあたる三田集落内の三田村氏館におかれ、徳川家康の本陣がおかれました。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城
本日も訪問、ありがとうございました。感謝