お城のデータ
所在地:八日市市柴原南町 (推定地)map:http://yahoo.jp/dRPraI
別 称:柴原屋敷
区 分:城館(居館)
現 状:宅地前の畑地
遺 構:堀痕、土塁痕
築城者:柴原次郎
築城期:室町期
城 主:柴原次郎
目標地:宮溜・玉緒神社
駐車場:安楽寺の隣集会所に駐車又は比定地前に路上駐車
訪城日:2014.6.15.2016.5.8
遺跡ウォーカーの比定地に祠が
お城の概要
柴原南集内は道路も狭く、鈴鹿の湧水で水路が多い。地割も複雑だが、比定地は南集落の南端部にあった。
遺跡ウォーカーの城跡比定地、柴原南集落に「城の藪」「馬場」「武助屋敷」「的打場」の地名が残る。が詳細不明。
お城の歴史
『江州佐々木南北諸士帳』に、「蒲生郡 南村 佐々木随兵氏族 柴原次郎(元甲賀武士)」とあり。
『大洞弁天当国古城主名礼』には、南村城主として柴原次郎の名が見える。
『近江蒲生郡志』三八九頁 「柴原氏邸跡 柴原氏の邸跡は玉緒村柴原南にあり、一族分かれて幾家となり南にあるを南殿といひ北に住せしを北殿といへり、柴原南の村名はその南殿の住地により名出つ、小字に城の藪あり、又大字芝原(柴原か?)にに殿の墓と称すろあり、何れも古への遺構なり。」と記す
遺跡ウォーカーの比定地
堀痕も道路の拡幅のため暗渠に!
淵龍山祥光寺 527-0066 滋賀県東近江市柴原南町1003
由来
正暦年中(990-995)天高魂尊(たかむすびのみこと)の神孫玉緒判官慶?の創建と伝え、旧号は「玉緒山柴原寺」と称した。
寛永19年(1642)3月、彦根城主伊井直孝公の時代に「淵龍山祥光寺」と現名に改称した。この号の旧名は、玉緒村大字柴原と言い、山号が郷里号に生かしてあった。 かつては道向かい隣の玉緒神社の別当寺で、当初は不動明王が本尊であった。現在は薬師如来をおまつりしている。
玉緒神社
玉緒神社石燈籠(南北朝時代初期 、花崗岩、高さ 約178Cm)
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、『江州佐々木南北諸士帳』
本日も訪問、ありがとうございました。