林道ゲイト脇の説明板(現在地)
林道ゲイトは施錠されて、入れない
主郭部虎口の石垣
遺跡ウォーカーの楢崎城比定地:http://www.isekiwalker.com/iseki/336224/
お城のデータ
- 所在地:滋賀県犬上郡多賀町楢崎 map:https://yahoo.jp/L_lJb3
- 別 称:楢崎城
- 区 分:山城
- 立 地:山地中腹
- 現 況:山林
- 築城期:鎌倉期
- 築城者:楢崎氏
- 目標地:楢崎 八幡神社
- 駐車場:八幡神社
- 訪城日:2017.11.6
- お城の概要
- 遺跡ウォーカーの楢崎城は、高源寺の背後の山腹に位置する。
- 背後の楢崎城へは、獣害ヘンスで入れない!楢崎八幡神社の背後の獣害ヘンス沿いに高源寺の裏庭の山麓にゲイトあった。
- 獣害ヘンスを入ると「管理道=植林道」が明確にのこる、取りあえず頂部へ進むと林道の終点に出た。木製の階段登ると東屋と「環境防災林」の説明板の上からが、楢崎城域のようだ。
- 直ぐに、約標高180m付近の曲輪・櫓台遺構が、さらに進むと自然地形だろうが「土橋・竪掘」2つを渡り、旧斜面を登ると主郭部の虎口の出る、虎口にも石垣を認め、東側下は石垣が残る。
- 更に主郭と思われる部は、左右の大きな凹穴がある(石取場か?)
- お城の歴史
楢崎氏は観音寺城の繖山の三角点近くに山上屋敷がある。
『江州佐々木南北諸氏帳』には、「犬上郡 楢崎城主 住 佐々木旗頭 〇楢崎内蔵介 同 楢崎太郎左衛門弼高」の名を記す。
樽崎氏は、楢崎を拠点に鎌倉時代より六角氏の下で軍事部門において活躍した一族で、南北朝時代の軍記物「太平記」にも記されている。
- 樽崎氏は、楢崎を拠点に鎌倉時代より六角氏の下で軍事部門において活躍した一族で、南北朝時代の軍記物「太平記」にもその名が記されている。
- 永禄11年(1568)足利義昭を奉じて上洛する織田信長に攻められた主君の六角承貞が甲賀郡三雲に逃れると、楢崎氏も楢崎の地を離れ蒲生郡へと移り、館は放棄され、領地は織田信長に没収された。これにより同地にあった楢崎氏の菩提寺の十福寺も廃寺となった。
- 林道の頂部
- 東屋
- mapの背後
- 此処から城域・山腹大曲輪か?
- 最初の自然地形の土橋状
- 左右の竪堀城
- 小曲輪か?
- 主郭部
- 主郭の虎口か?
- 主郭部虎口の東側下石垣
- 山麓の八幡神社
- 写真集:https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/935870053242237
- https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/935873606575215
- https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/935872823241960
- 参考資料:遺跡ウォーカー・「旧愛知・犬上郡の城」(『滋賀県中世城郭分布調査』5 県教委1987.3) 本日の訪問ありがとうございす!!