お城のデータ
所在地:栗東市市安養寺88 map:http://yahoo.jp/gqT3uM
現 状:安養寺・山林(八十八霊場)
築城期:奈良時代 天平十二年(740)
築城者: 良弁僧正が開基
陣所期:室町期
陣 主:足利九代将軍義尚
区 分:陣所
遺 構:主郭・郭・土塁・空堀
標 高:ー m 比高差:30m
駐車場:安養寺参拝者駐車場
訪城日:2015.11.5
お城の概要
安養寺城は、奈良時代創建の安養寺を、六角討伐に足利九代将軍義尚が最初に陣所を構えた。栗東市立治田東小学校に燐で名神高速道路が門前の東を走る。
安養寺の境内の山中にはミニ八十八所巡りの石仏は配置され、城郭遺構の低土塁・平削地・大きな空堀が残る。六角討伐に足利九代将軍義尚に従軍した兵士の宿所と想像する。
歴史1 (安養寺山の麓に、良弁によって開基)
安養寺山の麓に、聖武天皇の勅願により、東大寺の建立に尽力し、金勝寺を開基した良弁によって開基されました。
当初は法相宗に属していましたが、承和元年(834)太政大臣藤原良房の本願により、弘法大師こと空海が中興開基され、以後真言宗大本山大覚寺派の名刹として知られています。
歴史2 (焼失と再建)
皇室の帰依も厚く、弘長3年(1262)に亀山天皇が諸堂を再建したと寺伝に記されています。その後、火災に遭いましたが、嘉元2年(1304)に復興しました。
長享元年(1487)、室町幕府と対立し、近江で力を誇っていた六角高頼氏を討伐に出陣した第9代将軍足利義尚が、栗東で最初に陣を構えたのが、安養寺でした。
安養寺に入った義尚は、本格的に甲賀郡内の六角勢掃討に着手しましたが、長期化を予想した義尚は、手狭な安養寺を出て、上鈎にある永正寺に陣を置きました。この戦いの時に、六角勢の兵火にかかり、十二ヶ院などの建造物が焼失しました。 大永年間(1521~1528)に再興されましたが、再び戦乱に呑みこまれてしまいます。
元亀元年(1570)8月9日、織田信長が佐々木氏の残党と戦ったその兵火を浴びて、本堂・僧房などがことごとく焼け落ちました。
歴史3 (再興)
貞享元年(1684)に京都から慧堅戒山が入山し再興し、正徳元年(1711)に江戸幕府第6代将軍徳川家宣に末永く天下安全の祈祷を修する旨命じられました。
・本尊が薬師如来であることから東方瑠璃山安養寺勅願を賜りました。
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!