・指定年月日:平成8年9月1日
下坂家は、坂田郡下坂中村(長浜市下坂中町)に居住した湖北の有力な地侍(土豪)です。その活動は、南北朝時代から確認でき、足利幕府方(北朝)の武将として守護京極氏の軍事指揮下に入って活躍していたことが知られます。
また、戦国時代には、一族の「左馬助」家は京極氏の家臣として、一方「四郎三郎」家は浅井氏の家臣として働いています。
四郎三郎は織田信長の小谷城攻めにあっても籠城し、その功績に対して浅井長政からは領地を与えられています。
江戸時代は地域の「郷士」的身分として、明治以降の近代は名望家として、地域では「幸内さん」と呼ばれ親しまれた家でもあります。
写真:浅井長政書状 下坂四郎三郎宛
この下坂家に伝来した「下坂家文書」は、巻子(巻物)11巻、一枚もの302通、冊子143冊、絵図9枚などから構成されており、南北朝時代から明治初期の下坂家や地域の情勢を読み解くことができます。特に貴重なのは、冒頭に記した中世(南北朝時代~戦国時代)の古文書が収められた「甲巻」です。
この中には、戦国大名浅井氏三代の文書が、初代亮政の文書5通、二代久政の文書3通、先ほど記した三代長政の文書1通が存在します。このように合計9通にのぼる浅井氏当主文書が残るのは、同氏領国下の地侍伝来文書としては最も多く、本文書群の価値を高めています。
その他、江戸時代の文書として、湖北の「郷士」間や彦根藩士らとの往復書簡、田村山の麓にあった只越社(現在は忍海神社に合祀)をめぐる裁判に関する古文書、さらに菩提寺・不断光院の経営に関する文書を収めています。また、下坂家から出た幕末の志士・文人として知られる板倉槐堂・江馬天江兄弟と、下坂家当主(2人の兄に当たる)高凱との往復書簡も多数現存し、解明が進んでいない幕末の長浜を考える際の基本史料とも言えます。
昨年末、下坂家の当主であられる下坂幸正氏のご厚意で、この貴重な文書群を市へご寄贈いただきました。保管を担当します長浜城歴史博物館では、地域の魅力発信の題材として、有効に活用しつつ、永く保存していきたいと考えています。
(『広報ながはま』平成27年1月1日号より)