昨日の投稿「親の因果が子に報いるのか」の続き。
人間は主観的であり、
与えた恩や受けた仇は大きく、
受けた恩や与えた仇は小さく評価するもの。
国債を発行して、自ら「国家破産」の責任を取らない連中は、
「日本をこれだけ立派な国にしたのは俺たちだ」と与えた恩を過大に評価し、
「これくらいの我利、構わないだろう」と与える仇を過小に評価していると思う。
あるいは、後世にツケを回して今を楽しむことを
「我利」とすら感じていないのかも知れない。
「負担増はイヤだ」「年金カットはイヤだ」「既得権益は放棄しない」なんて主張する。
パイが限られている以上、こんなことは普通は不可能。
それを可能にするために、
現役世代の保険料をアップさせたり、国債をジャブジャブ発行したりする。
でもこれは先送りでしかない。
しかも熨斗ではなく利子付けて。
後始末は誰がすると思っているんだ?
「自分がしない」としか思っていないのでは?
それは「我利」だろうが。
…まあ、こんな亡者どもが、(彼らが批判するところの)
「戦後民主主義教育」による成果物であり、
一つの帰結なのかも知れませんがね。
人間は主観的であり、
与えた恩や受けた仇は大きく、
受けた恩や与えた仇は小さく評価するもの。
国債を発行して、自ら「国家破産」の責任を取らない連中は、
「日本をこれだけ立派な国にしたのは俺たちだ」と与えた恩を過大に評価し、
「これくらいの我利、構わないだろう」と与える仇を過小に評価していると思う。
あるいは、後世にツケを回して今を楽しむことを
「我利」とすら感じていないのかも知れない。
「負担増はイヤだ」「年金カットはイヤだ」「既得権益は放棄しない」なんて主張する。
パイが限られている以上、こんなことは普通は不可能。
それを可能にするために、
現役世代の保険料をアップさせたり、国債をジャブジャブ発行したりする。
でもこれは先送りでしかない。
しかも熨斗ではなく利子付けて。
後始末は誰がすると思っているんだ?
「自分がしない」としか思っていないのでは?
それは「我利」だろうが。
…まあ、こんな亡者どもが、(彼らが批判するところの)
「戦後民主主義教育」による成果物であり、
一つの帰結なのかも知れませんがね。