私は昔から、並行して何冊か読み進めるクセがあるのだが、
最近「国債」や「公共事業」に関する記述のある本が重なった。
※画像をクリックすると「楽天」のページに飛びます
●「2011年 金利敗戦」(森木亮)
●「競争と公平感」(大竹文雄)
●「公共事業の正しい考え方」(井堀利宏)(これは読んでいる途中)
「競争と公平感」なんかは、
別にそれをメインで取り上げている訳でもないのだが、
どうしても意識がそちらに向いてしまった。
時あたかも。
「国債44兆円以下」民主に波紋、参院議員反発(読売新聞) - Yahoo!ニュース
今の公共事業は、昔に比べて、かけるコストに比した便益は落ちている。
それは、東海道新幹線と新たに作られる九州新幹線・北陸新幹線を比べても、
あるいは東名自動車道と対面通行の地方の高速道路を比べても明らかだろう。
もちろん、短期的な費用対効果だけで判断するものではない。
しかし、限られた予算の中で何を優先するか、
あるいは限られたお金を公で使うのか、民間に任せるのか、を考える上で
費用と効果、意義は検討するべきだろう。
そのあたりが充分に検討されず、
「既に決まっているから」とか
「地方の建設業者がつぶれてしまうから」といった既得権益、
さらにはそれが「票」につながる、という意識で推し進めているように見える。
しかも、「国債」を多用している。
これはゴマカシ。
「限られた予算」の制約を取っ払い、「どちらの事業を行うか」の選択から逃げ、
どちらもやっていい顔をする。
しかし、その尻拭いは誰がすると思っているのか?
将来世代に対して無責任な政治家、そしてその「いい顔」だけを見て支持する人間、
全てが将来の世代にツケを回そうとしている。同罪。
私にはそのあたりで閉塞感がある。
「死に逃げ」した親世代の借銭に押し潰され、
その後始末のために働き、疲弊する(さして先でもない)姿が見える。
# 今、少子化が進んでいるのも、
自分たちで拭いきれない、上の世代の尻を
次の世代に拭かせるのが申し訳ない、と感じているからかも知れない。
「世代の意識」てなものがあるかどうか分からないが。
最近「国債」や「公共事業」に関する記述のある本が重なった。
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●「2011年 金利敗戦」(森木亮)
●「競争と公平感」(大竹文雄)
●「公共事業の正しい考え方」(井堀利宏)(これは読んでいる途中)
「競争と公平感」なんかは、
別にそれをメインで取り上げている訳でもないのだが、
どうしても意識がそちらに向いてしまった。
時あたかも。
「国債44兆円以下」民主に波紋、参院議員反発(読売新聞) - Yahoo!ニュース
今の公共事業は、昔に比べて、かけるコストに比した便益は落ちている。
それは、東海道新幹線と新たに作られる九州新幹線・北陸新幹線を比べても、
あるいは東名自動車道と対面通行の地方の高速道路を比べても明らかだろう。
もちろん、短期的な費用対効果だけで判断するものではない。
しかし、限られた予算の中で何を優先するか、
あるいは限られたお金を公で使うのか、民間に任せるのか、を考える上で
費用と効果、意義は検討するべきだろう。
そのあたりが充分に検討されず、
「既に決まっているから」とか
「地方の建設業者がつぶれてしまうから」といった既得権益、
さらにはそれが「票」につながる、という意識で推し進めているように見える。
しかも、「国債」を多用している。
これはゴマカシ。
「限られた予算」の制約を取っ払い、「どちらの事業を行うか」の選択から逃げ、
どちらもやっていい顔をする。
しかし、その尻拭いは誰がすると思っているのか?
将来世代に対して無責任な政治家、そしてその「いい顔」だけを見て支持する人間、
全てが将来の世代にツケを回そうとしている。同罪。
私にはそのあたりで閉塞感がある。
「死に逃げ」した親世代の借銭に押し潰され、
その後始末のために働き、疲弊する(さして先でもない)姿が見える。
# 今、少子化が進んでいるのも、
自分たちで拭いきれない、上の世代の尻を
次の世代に拭かせるのが申し訳ない、と感じているからかも知れない。
「世代の意識」てなものがあるかどうか分からないが。