三つ子の魂百まで
それは
或る人の感性は
幼児期に
すでに
確立される
そんな
意味合いだと
思っていた
でも
この小説
~グロテスク~桐野 夏生
を
読了して
其の人の一生は
多感な時期の
環境や
周囲の目に
寄って
決定づけられる
そういう意味に
思えてならず
何故だか
ゾッとした
誰かが言っていた
同窓会に
行っても
どんなに
立派な
人物に
成り上がろうが
学生時代に
輝いていたヒトは
当然の結果と
称賛され
くすんでいたヒトは
過去に焦点を
当てられ
何かの間違いのように
否定される
と云う
無知
や
自覚の無い
時期を
批難されても
どうしようも
ないし
ましてや
いまさら
過去の記憶
なんて
何を変えられる
と
云うのだろう
芯の強さ
真の逞しさ
は
立ち向かうコト
でも
挑むコト
でも
無い
きっと
動揺せず
同調に
身を投じて
安心しない
という
コトだろう
みんな
違うのに
足並みなんて
揃うはず
無いのに
横並びを
求められる
思春期が
大キライ
だった
独りを
好みながら
孤独に
怯えていた
あの頃の
自身の
未熟な感性が
大キライ
だった
生きるコトは
グロテスク
だ
なんとかして
どうにかして
消えない天井の滲み
みたいに
自身の痕跡を残して
いくコトに
みな
躍起になるのだから
変えられない
立ち位置を
偽ったり
開き直ったりして
グロテスクに
生きるコトこそ
裸子植物
にも
被子植物
にも
なれない
ワタシタチ
人間の
特権であり
醍醐味である
のかも
しれない
オンナという
妖しくも
微力な
生き物の
叫び
なのかも
しれない