
あなたは
どんな瞬間に
生きているなぁ
と
実感しますか?
大切なヒトに
触れたとき?
美味しいモノを
美味しいと
感じるとき?
朝陽が眩しくて
大きく
背のびをするとき?
子どもらに聴けば
心臓が動いていれば
生きてるってコト
でしょ
何十年も
生きていて
そんなコトも
解らないの?!
おばちゃん!
なんて
嘲笑われるかも
しれませんね
理屈の枠を
飛び越えて
感覚の域で
動こうとする
いまの
ワタシには
それが
どんどん
解らなくなっていきます
そう
いままで
どうやって
生きてるって
感じてきたのかも
日々を
がむしゃらに
生きているヒトから
叱られそうな
(きっと叱るコトすら
そのヒトには時間が勿体無い
だろうけれど・・・)
気もするけれど
いまは
人生の中でも
いちばん
穏やかであり
不安なのかもしれません
きっと
最期の時に
悔いがないなんてコトは
ないだろうけれど
生きるを全うしたなんて
想えるコトは
ないだろうけれど
その頃迄には
生きた証が
ココロなり
環境なりに
表れて
整っていればいいな
できるだけ
生きていると
噛みしめ
実感できる
モノに
わがままでも
欲張りでも
触れていたいから
生きているもの・死んでいるもの
~茨木のり子~
生きている林檎 死んでいる林檎
それをどうして区別しよう
籠を下げて 明るい店さきに立って
生きている料理 死んでいる料理
それをどうして味わけよう
ろばたで 峠で レストランで
生きている心 死んでいる心
それをどうして聴きわけよう
はばたく気配や
深い沈黙
ひびかぬ暗さを
生きている心 死んでいる心
それをどうしてつきとめよう
二人が仲よく酔いどれて
もつれて行くのを
生きている国 死んでいる国
それをどうして見破ろう
似たりよったりの虐殺の今日から
生きているもの 死んでいるもの
ふたつは寄り添い 一緒に並ぶ
いつでも どこででも 姿をくらまし