それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

つくづく思うこと

2008年06月24日 | 雑記

最近、つくづく思うことがある。

男の人生の過ごし方。

いろんな人がいて、いろんな生き方があってしかるべきなのだ。
ただ、人には寿命というのがあって、男は平均して80歳まで生きればいいところだ。

ボクの場合、そうするとあと20年。
この20年が40年になったところで、その間の20年はただの老人で、
生きているだけということではないか。

ボクの父は今、87歳になる。いろんな病気を乗り越えて、一生懸命に生きている。
何のために生きているかと言えば、入院中の母のためだ。

夫婦愛もいいのだが、本人は生きることにそろそろ疲れが出ている。
デイケアに行かせることに成功したのだが、不満たらたらで面白くないらしい。
母の病室に行って、どうということもない話をしているのが一番なのだと言う。
母が死ぬまで、自分は死ねないと言う。要は母のために生きているのだ。

ボクにはよくわからない。理解できない。
しかし、もし、家内が母のような状態になったら、と考えることがある。

多分、父と同じように考えるだろう。家内のために生きる。
だけど、今はイヤだ。そんな状況にもないし、
そのような状態になる可能性は今、低いからだ。

ところで、自分は仕事もしないで、ブラブラしているように思うこともある。
しかし、連合町内会と神社と単位町内会の仕事がある。毎日、それに振り回されている。社会貢献。

ボクの年代ではほとんどの男がビジネスという仕事に就いている。所謂、稼いでいる。
ボクは無収入だ。それでも今のところ、引け目は感じていない。

大概の男は65歳までは働きたいと言う。その後、どうするつもりなんだろう。
自分も自主退職後そろそろ4年が経過する。一時期は働きたいと思って、働いたこともあった。

しかし、満足感がなかったので、すぐに辞めてしまった。家内はいい顔をしなかった。

今、家内は自分の生活を持っている。平均して週に3~4日は家にいない。
家にいてもボランティアの仕事で、パソコンに向かう時間が長い。

ボクはボクで、週に5日くらいは町内会活動である。お互い、全然別の方向ですれ違っている。
それがいい。と思えるようになった。

ここに至るにはボクの空白の期間、4年間のうち3年はかかったと思う。
65歳まで働く人たちも、やはり2年や3年はその境地に至るまでかかるだろう。

そうすると、一体、その人にとって、人生は何だったんだろうと
思うのではないかと、他人事ながら興味がある。

心豊かに健康で暮らしていける人も多いと思う。
しかし、仕事なしでは生きていけない人の方が多いのではないかと思う。

その場合、つらい老後が待っている。
ボクは今、辛い日々を乗り越えて、それなりに幸せな生活を送っていると言える。

これからは、今、貰っている「職」を大事にして生きて行きたい

 

 

(網走刑務所の売店で買った香炉)