東京五輪が真っ最中である。中止すべきとの意見が根強かったが、始まってみれば、テレビはNHK関連はもとより、民放各社も朝から晩まで五輪のLIVEやハイライトなどで、番組表がびっしりと埋まっている。
コロナのニュースですら、放送量が激減して、五輪、五輪とばかり我々を煽ってくる。まるでコロナの脅威は初めからなかったかのように感じる。
マラソンと競歩は(涼しい)札幌で...とバッハ会長が言い出して、すぐさまその通りになった。しかし、全国的なこの猛暑は暫く収まることがないらしい。確かに同じ気温なら、湿気が少ない分、札幌で実施することには問題はないし、夜と朝のひんやり感は本州とは違う。一方、週間予報では、この後32℃程度で推移しそうだ。決して「札幌は涼しい」との期待はしないでほしい。
五輪と言えば、1972年2月に開催された札幌冬季オリンピックが思い起こされる。
来年2月でちょうど50年を迎える。
札幌五輪のテーマ曲=「虹と雪のバラード」 トワ・エ・モワ
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(これから下の写真はすべてお借りしたものです)
札幌冬季五輪の大会ロゴ。
真駒内屋外競技場 ここでは開会式等、スピードスケートが開催された。
リュージュ、バイアスロンなど氷上種目やクロスカントリーは別の会場で行われた。
真駒内屋外競技場にある聖火台。今も健在だ。老朽化のため
施設全体が行政のお荷物になっている。維持費が相当額かかるためだ。
真駒内屋内競技場。フィギュアスケートとアイスホッケーで使われた。
アメリカ代表のフィギュアスケーターのジャネット・リン。今も健在で、68歳だそうだ。
本番の競技で転倒しながら、愛くるしい容姿のため(か?)銅メダルを獲得した。
アイスホッケーは、正に格闘競技だ。凄まじい「戦闘」は目を見張る。
力強く、迫力のある競技で、一生に一度は生で観戦することをお薦めする。
スキー競技は主に市内にある手稲山で行われ、大滑降だけは恵庭岳で開催。恵庭岳はその後、植樹などで原状復帰されて、コースの痕跡は今では跡形もない。
↑ 大倉山シャンツェは90m級で使われた。すぐ近くにある宮の森ジャンプ場は70m級で使われ、この2か所で、ジャンプ競技が開催された。
70m級では、笠谷選手が金メダル、銀も銅も日本人選手が取り、表彰台を日本が独占するという大快挙を成し遂げた。日本のジャンパーは日の丸飛行隊と呼ばれ、札幌五輪の象徴となった。
真駒内の選手村。五輪開催までに地下鉄がオープンし、終点が南北線の真駒内駅となった。中心部では地下街がオープンして、札幌のインフラ整備が急速に進んだ。選手村は現在、五輪団地という名称で存続している。築後50年の古いマンションである。
私は札幌五輪が開催されている時、社会人1年生だった。まだ土地に不慣れなこともあり、競技の見物に出かけることはなかった。期間中は、今でいうステイホーム、おうちで観戦、巣ごもり観戦(貸家式アパートで、しかも白黒テレビ)などという性格の生活だったように記憶している。
今回の東京オリンピックのゴタゴタ騒ぎ、選手を含む関係者の150名の感染、コロコロ変わる組織委員会などの対応、完全に崩壊したバブル方式による大会運営、様々な不祥事等々を見るにつけ、二度とオリンピックの招致はするものではないと思う。
しかしながら、札幌市は2度目の冬期五輪招致を進めようとしているのだ。2030年の開催を目指している。しかし、我々は騙されない、こんな経験は二度としないことを誓いたい。
鈴木直道北海道知事は「マラソン、競歩とも無観客で...」と訴えています。コースにフェンスを築くなど、今盛んに工事を進めています。
しかし、そうは言っても、外の公道を走るわけで、完全な無観客など期待はできませんよね。非現実的なわけです。
宮の森シャンツェは元々古くて、ジャンプ競技をするには問題はないようですが、見る限りでは、周りの施設整備が十分ではないようです。
ユースホステルは、ビジネスホテルがどんどん増えているし、今の若い人は個室を希望する傾向にありますので、その使命は終わったのだと思います。
特に当該ユースは交通の便が今でも悪く、然るべくして閉鎖の運命を辿ったのではないでしょうか?
札幌でのマラソンはどうなんでしょうか?
社会人になって間もなくの冬休み、女子高の後輩と私の妹の3人で、一周間ほどの北海道旅行をしました。
札幌市内の宿は、今思えば宮の森ジャンプ競技場の宿泊所として建てられたライオンズユースホステル。
部屋の様子、2段ベッド、同室の方との会話など今でもくっきりと覚えております。