今年は私の両親の7回忌だった。
父が亡くなったのは平成26年9月、その55日後に母が亡くなった。
近い間隔で双方が亡くなったので、3回忌のときもそうだったが、今回も二人一緒にお経上げてもらった。
父母は結局、札幌に来て16年半ほど札幌で居住していた。ただ母の持病が悪化して16年のうち旅行に行ったり、自由な時間を過ごせたのは8年だった。その8年は長期病棟に入院していて、数年間はリハビリも一生懸命やっていたのだが、最終的には寝たきりになって亡くなった。
父は16年半のうち16年は自分のマンションで独居だが、過ごすことができた。最後まで「自立」で認知症状もなかった。車で2分のマンションだったので、夕飯を届けたり、スーパーへの買い出しに連れて行くなど、出来るだけ不自由なことはさせない状態が長く続いた。
戦争を経験した世代の人は、強さが我々世代なんかと雲泥の差を感じたものだ。
(父は満州へ4年間の兵役、母は軍需工場での生産)
宗教は浄土真宗大谷派なので、亡くなったと同時に即仏となり、三途の川や閻魔様などとは関わらない。浄土に住んでいるのだから、その点では安心していられる。
今になっても、父母への申し訳ない気持ちは変わらない
まだ若かったせいか、体調の変化や病気の進展などに気が付かなかったことが多い。時々、胸を刺されたかのような気分になる。
悔やんでも悔やみきれない事象がたくさんある。
私が若いころは家族を連れたり、私一人でも出来るだけ新潟に帰ることにしていた。しかし、それもせいぜい2泊3日程度のことで、基本的には自分の居場所は札幌だった。30年以上、一人息子なのに親と離れ離れになってしまった。このことが私の心の中で負い目になっていたし、今でもそうした気持ちから抜け出せないでいる。
せめて毎日のお参りだけは、欠かさないよう心掛けている。
次男が精米歩合40%の純米大吟醸酒を持って来た。新潟の経済連との打ち合わせの中でできた新種の酒で、製造も酒米も新潟だそうだ。美味い。
7回忌とは言え、出席者は私たち夫婦2人+札幌在子ども夫婦2組4人+孫3人だけ合計9人だけで、お経だけしかない質素なものだけど、心は籠もっているものと自己満足している。
なお、前回の記事(敬老会を開くかどうか)については、役員会議で中止と決定した。
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