山梨日立建機社長 雨宮 清さん(61) 子どもに笑顔が戻れば
昨年11月、会社の階段から落ち、右大腿骨を折 った。「疲れすぎなのかな。落ちた瞬間を覚えとら んのよ」それほど、忙しい。3月下旬から約2週間、 カンボジアで技術指導してきた。現在は講演で全 国を飛び回る。社長業は土日にこなしている。
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地雷とのかかわりは1994年に始まる。カンボジアに行った。内戦終 結後の国を見てみたいという好奇心からだった。驚いた。手足のない 人が非常に多いのだ。そして、足を失った少女から言葉をかけられた。 「日本の人ですか?私の国を助けてください」地雷原はジャングルなど になっていることが多いため、やぶや低木の切り開くカッタ-が必要に なる。現地の除去機はカッタ-の耐久性が低かった。「使えない。自分 で開発しないと」。帰国後、社員にプロジェクト開始を宣言した。油圧式 ショベルの生誕に高速回転するカッタ-を取り付けることに。爆発ネエル ギ-をいかに逃がし、爆発時の高温にどうやって耐えるのか。手探り の研究が続いた。既成部品は地雷除去を想定していないから、自社 開発せざるを得なかった。陸上自衛隊の演習場やカンボジアで実験を 重ね、一号機が完成したのは98年。ブッシュを切り開き、地雷処理後 は土地を耕すこともできる。「業績が傾くぐらい、金をかけたよ。技術者 の意地があるからね」。現在は6ヵ国で56台が稼動。「社員や現地ス タッフ、関係者の協力のおかげ」と振り返る。現地では必ず、自ら操作し、 性能を確かめる。「先頭に立たないと現地の人が信用してくれない」。カ ンボジアでの実験中、右耳の鼓膜が破れた。爆発時に飛び散った鉄球 が操縦席にめり込んだこともある。「死んだら死んだで仕方ない。子ども たちに笑顔が戻ればね」と笑い飛ばす。地雷原は、農地や学校用地に 生まれ変わる。究極の目的は生活の安定と自立だから「美しい畑にな っていたりすると、本当にうれしい」。
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山梨県山梨市の農家の出身だ。中学を卒業後、東京の建設機械 メ-カ-に就職。「ケンカばかりしとったガキ大将。畑仕事もようした な。だからほとんど字も知らんほどだった」。勤務後、必死で学んだ。 23歳で帰郷し、独立。80年に日立建機と資本提携した。なぜ、地 雷除去にこだわるのか。思い出すのは、亡母・ふき子さんが言い続 けた「陰日なたのない人間になれ。人のためになれ」という言葉だ。 「カンボジアで少女と出会い、天命を与えられたのです。人生、どう 変わるかわからない」5年前から、全国の小中学校で講演。昨年は 64回、今年もすでに56回の予定が入っている。6月2日から6日に かけては、札幌・山の手南小学校など8校でスライドを上映しながら、 カンボジアの様子を話す。社会貢献の一環だから、旅費も講演料も 一切、受け取らない。講演後、学校から感想を記した手紙が届く。 「『いじめを見て見ぬふりをしていた自分が恥ずかしい』といった反応 もある」。だから可能な限り、講演を続けたいと願う。「それでも」と雨 宮さん。「カンボジアやアンゴラの子どもたちの方が、『こころの先進 国』にいると実感するよ。先生になりたいとか、医者になりたいといっ た夢を、瞳を輝かせて話すんだ。日本の子どもたちにも、もっともっと、 夢を語ってもらいたい。地雷除去にも、すごく大きな夢が託されている しね」地雷を除去し、未来を耕す社長。子どもたちの笑顔が、活動の 糧だ。
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