「孔子の教え」
夕刊の一頁広告に「映画館へ行こう!」があった。
ふと「満足度ランキング」を見ると、その三位に「孔子の教え」があり、明日から梅田***で公開とある。
寒風のなか大阪まで出かけた。
ウイークデーの昼下がり、二十数名のシニアにご婦人がチラホラ、なんとなく盛り上がりに欠ける。
わたしが「孔子」さまに関心を持ったのは、文革中の「上海服装交易会」のときであった。なじみの貿易公司の担当者に契約商品の生産状況を見せてほしいと話したとき、工場はいま休業中とのこと。納期が心配になったが、担当者も“メイファーズ(没法子)”とつぶやく。あとで会社の駐在員に聞くと、工場は天井からスローガンが一杯ぶら下がっていて、まるで“七夕”のよう、「批林批孔」大会が続いているとのことであった。林彪の批判はわかる、だがなぜ、孔子なのか・・・。
七六年一月に周総理が逝去し、「批孔」が孔子になぞらえての“批周”であったことを知る。
その秋に“四人組”が逮捕され、文革は終結、改革開放への扉が開く。
それから二十余年のあと、「孔子」は復活した。
中国の小学校の教科書「品徳と社会」にも、孔子は偉大な思想家として復活、党校と目される中国人民大学の構内にも孔子像が建てられた。〇四年には曲阜孔子廟において政府主催の孔子生誕二千五百五十五年大祭が盛大に挙行され、全国にテレビ放映された。
そして、五年後の建国六〇周年記念祝賀のひとつとして、この映画が制作費一・五億元(約二十億円)を投じてつくられたと知る。
この映画(原題は「孔子」)のあらすじは、このようになる。
紀元前五〇一年の中国。晋・斉・楚の大国三国に隣接する小国・魯の国政は、権力を握る三桓と呼ばれる三つの分家により混乱していた。君主・定公は安定した国を築くため、孔子に大司寇の位を授ける。孔子はその期待に応え、次々と改革を進める。殉葬など古い習慣の撤廃や新しい礼節の制定だけでなく、斉との同盟条約を無血で締結させ、外交でも力を発揮した。孔子の非凡な才能は各国に伝わり、他国の為政者は孔子に関心を寄せる。なかでも衛の君主・霊公の妻で実質的な権力者である絶世の美女・南子は孔子を気に入り、自国に引き込もうと画策する。衛や斉から孔子を招聘したいという書簡が次々と届き、孔子の功績は季孫斯ら三桓も認めるところとなる。
紀元前四九八年、孔子は国相代理となる。
孔子は三桓の影響力を弱めようとひそかに動き出す。しかし、孔子の弟子・公伯寮の密告により、そのことが三桓に知られてしまう。三桓は君主・定公を抱きこみ、孔子を魯から追い出す。孔子は家族を残し、旅に出る。顔回や子路をはじめ多くの弟子たちが合流する。孔子たち一行の諸国巡遊の旅の先には、数々の出会いと別れのドラマが待ち受けていた・・・(goo映画)。
オーストリアとの合作映画「愛にかける橋」などを手がけた中堅女性監督(脚本も)のフーメイ(胡玫)、孔子役はハリウッドでも活躍中のチョウ・ユンファ(周 潤発)だが、わたしはどちらも初見。監督は「孔子の高貴さと内に秘めた男らしさも演じられるのは彼しかいなかった」と、チョウにベタ惚れだが、いいオトコではある。
五年の歳月をかけ、巨額な制作費をかけたこの映画は、俳優だけではなく、戦闘シーンの壮大さや、監督の思い入れで孔子が幸せな時代は「暖色」、失意の時代は「寒色」とカラートーンにも気を配っているとあるが・・・ウ~ン、どうであったか・・・。
わたしがこの映画でいちばん気にかかったのは、子路の死の場面。
映画の後半、孔子たちは十数年の流浪のたびの末、祖国・魯への帰国が認められ、吹雪の湖上を渡るとき。突然氷のきしみ割れる音がして、子路は馬車ともに湖底へ落ち込む。心配げにのぞきこむ孔子たち、と、子路は木簡を抱えて浮かび上がり、そして、それを渡すとまた氷の湖底へ。両三度それを繰り返して湖底から木簡を拾い集め、そして息絶える。氷のような、その冷たい子路に取りすがり、嘆き、泣きくれる孔子とその弟子。
こう書いてみれば、ずいぶんと感動的な場面のはずだが、木簡=論語と強調しているかのようなこのシーンの作り方には少し興ざめした(論語は後世、孔子の弟子たちがその言動を纏めたもの)。そして、その子路の描き方である。
文革中、なにかがあると“学雷峰”というキャンペーンがあった。それは毛沢東の“為人民服務”の学習運動として、“滅私奉公”を強要するものであったが、この子路の描き方も、それに類してはいないか。
八九年のあの事件のあと、早くも七月から“学雷峰”のキャンペーンが党内で繰り広げられた由耳にしていたが、九月になると学習会では“居眠り組”が多数を占めていたという。文革のあと、毛沢東も“誤りがあった”とされるなかで、その時代の“学雷峰”の精神を学ぶということの「阿呆らしさ」が居眠りを誘ったのであろう。
子供たちに“愛国教育”を施しても、それは道徳律とはならない。
シンガポールのリー・クワンユー元首相がその伝記のなかで書いているという「中国の汚職や腐敗の根源は、文革時代に起きた正常な道徳的基準の破壊である」という指摘も一理はあるだろう。そして胡錦涛政権が「和諧社会」実現の精神的バックボーンとして「孔子の復活」をとりあげたのも、理解はできる。だが、道徳律の復元には、長い期間の社会的教育が必要である。
この映画「孔子」の中国の評判はどうであったか。
ネットでは「聖人は庶民に勝てず?『孔子』人気の低迷、『アバダー』通常版再び映画館へ」というコラムがあった。
官製?映画は、かなりの苦戦模様、児童の集団鑑賞、山東省の組織的動員などいろいろ、人気映画「アバダー」の春節期間の上映制限もあったようである。
日本でも自民党議員向けの特別試写会も催され、それなりの前評判で、わたしもそれに釣られて足を運んだのだが、わたしはおかげで久しぶりに「孔子」のことを考える時間がとれた。
そして、書棚をかき回して中島敦の文庫本を探し出し、何十年ぶりかで「弟子」を再読した。
さらに、4月に読みかけたままになっていた竹内実先生の『さまよえる孔子、よみがえる論語』(朝日選書)を再度手にするきっかけになった。「第一章 曲阜への旅 第二章 孔子の時代 第四章 新しい国家―吹き荒れた文革の嵐」 はすでに読んでいた。未読は「第三章 列国周遊の旅・晩年」と「終章 没後の孔子評価と金言・格言・ことわざ」である。
これらはこの映画を観た功徳といえようか。
この映画を見ながら「孔子」と「中国」を考える機会にしていただけたら幸いである。
(2011年11月27日 記)