妻への家路
先日(3月中旬) 久しぶりに中国映画を観た。
チャン・イモウ(張芸謀)監督、コン・リー主演の『妻への家路』。
このコンビの作品は、久しぶり。コン・リー出演の合作映画『上海』は三年前に見たが、チャン・イモウの作品は高倉健主演の『単騎 千里を走る』以来である。
『赤いコーリャン』でデビューしたふたりの映画は、90年代半ばまでかなり興味をもって見続けてきたが、コン・リーがシンガポールの実業家と結婚して中国を離れて以来、このコンビの映画を観る機会がなかった。
ネットで見た予告編の解説は、つぎのようであった。
1977年、中国。
文化大革命が終結し、20年ぶりに解放されたルー・イエンシー(チャオ・ダオミン)は妻のフォン・ワンイー(コン・リー)が待つ家へ帰るが、待ちすぎた妻は心労のあまり重い記憶障害になっていた。イエンシーは娘タンタン(チャン・ホエウエン)の助けを借りながら、“親切な他人”として向かいの家に住み、収容所で書き溜めた何百通もの妻への手紙を彼女に読み聞かせ、帰らぬ夫を駅に迎えに行く彼女に寄り添っていく・・・。
文化大革命がはじまったのは、1966年8月。
チャン・イモウは16歳の多感な少年であった。
前述の解説では、「20年ぶりに解放された」とある。
夫ルー・イエンシーは、文革がはじまる10年も前から辺境の地の「収容所」へ送られている、いわゆる「右派分子」。コン・リー演じる妻フォン・ワンイーは20年余の別離生活を強いられているのである。
「右派分子」をひと言で説明するとどうなるか。
倉石先生の『岩波中国語辞典』(1963年初版、83年19刷版)には、「社会主義陣営内での保守派」とある。
竹内実先生の短文「王蒙さんのこと」に、つぎのような文節がある。
・・・やがて、北京の市民、それも党機関につとめる青年を主人公にした小説が出て、一字々々、肝に銘じるようにして読んだ。「組織部に来た青年」。作者は王蒙(ワンモン)。
いかにもみずみずしい感覚で、この主人公は、新しい社会にたちむかっていたのである。ところがまもなく右派批判がはじまった。右派というのは、新しい社会に批判的な人たちに貼られたレッテルである。王蒙さんも右派にされた。一九五七年のことである。そのあと文化大革命があり、またさらに曲折があった。王蒙さんは文化部部長になり、しばらくしてやめた。・・・(竹内実[中国論]自選集三「映像と文学」)
コン・リーの夫ルー・イエンシーが「右派」にされたいきさつは、映画では説明がない。しかし、自宅にはピアノがあり、のちに妻の記憶を呼び覚まそうと「調律師」を演じるシーンなどから音楽関係の「高級知識分子」であったとは推察できる。
前述の解説では、妻がなぜ記憶障害になったのか説明はないが、この映画の前半をすこし紹介しておかねばならないだろう。
映画は舞踏劇『革命娘子軍』の練習風景からはじまる。
毛沢東夫人江青が主導したバレー劇、おそらく「四人組」が跋扈していた七十年代の前半のころであろう。その音楽や舞台のしぐさは、中国の中年以上のひとたちにとってもナツメロ的感慨をもたらしたことであろう(わたしもその気分になった)。イントロとしてはうまい演出である。
娘タンタン(チャン・ホエウエン)は、この舞踏劇の主役争いをしている。
そこへ、父が辺境の収容所から脱走したという情報がもたらされる。
劇団の幹部から密告したら、主役に抜擢するとの甘言が・・・。
大雨のなかの逃走シーン、わが家にたどりつきドアーの下から差し込む妻への手紙。娘は反対するが、妻は夫への弁当つくりや替衣の準備に追われ、密かに家を抜け出して、夫との出会いへ。娘は幹部に母の行動を密告する。その、逮捕劇のシーンは、思わず手に汗する。
文革が終わった。
辺境地から「右派」たちが、つぎからつぎへと帰ってきた。
夫も帰ってきたが、妻は記憶障害になっていた。
娘は母から“勘当”されて、工場の宿舎に別居していた。
この認知症は、どうなるのだろう・・・マダラボケ? 夫以外のことはしっかり記憶していて、日常生活にはさしさわりがない。娘の密告で、夫を逮捕して再度流刑地に送り返した「幹部」への憎しみは根深い。夫はこの「幹部」に会おうと遠くの引越し先を訪ねるが、その妻に追い返される。「夫」はいま監獄にいる、「帰れ!帰れ!」と叫ぶその妻のしぐさは、同じ「過ち」を犯しているその「体制」批判と受けとめたが、いかがなものであろうか。
チャン・イモウが26歳のとき、文革が終わった。
その2年後 かれは高倉健の『君よ憤怒の河を渉れ』(中国名『追捕』)を観て感動、いつかは高倉健を主人公にした映画を撮りたいと念願していた。『単騎 千里を走る』の撮影でその夢は実現したが、彼の北京の事務所には高倉健から贈られた日本刀が掲げられ、「いつも高倉さんに見守られている気がする」と語っている。
昨年末、この映画の日本上映のため来日したとき、思いもかけず高倉さんがこの映画のDVDをご覧いただいていて「イモウは自分の一番よく知っている、一番得意な映画を撮ることができたね」と、共通の友人に話しておられたことを知り、感動したと語っている。
この記者会見では、さらにつぎのようなことを述べている。
・本作は小説を原作とする文芸作品で、派手な演出は一切ないものの、本国では興収3億元(約57億円)というヒットを記録した。文革時代の悲劇を扱っているが、普遍的な夫婦愛を描いたことが多くの観客の心をとらえたのだと分析する。
・関連資料によると、中国全土で「右派」とレッテルを貼られてさまざまな懲罰を受けた知識人は55万人くらいいた。
・この映画はゲリン・ヤンの小説を原作にしているが、いまの中国でこの小説の内容すべてを映画化することは、まだまだデリケートな問題があり出来ていない。小説では夫ルー・イエンシーは上海在住の教師または教授。父の代からの「知識分子階層」で、海外にも留学経験があるなど原作では詳しく書かれている。
・妻が持っていく、夫の名前が書かれた看板は原作にはなかったが、コン・リーのアイデア。夫婦のさまざまな感情が描き出せ、物語の幅が広がった。
中国も自己の歴史を振り返る余裕は出来てきたが、まだ限界もあるらしい。「温故知新」という古語をあらためて電子辞書(広辞苑)でひいてみた。冒頭につぎのような説明が出てきておどろいた。
「論語(為政):温故而知新、可以為師矣」(古い事柄も新しい物事もよく知っていて、初めて人の師となるにふさわしい意)とあった。
中国の映画の世界ではまだまだ制約があるものの、むかしを見つめなおそうとする動きが出てきたのはいいことだが、あの天安門広場の「自由の女神」が東西ドイツの壁をくだき、社会主義圏諸国を崩壊に導いたその歴史的意義を考えることは、「人の師となる」政治家に求められることではないだろうか。
(2015年4月16日 記)