くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之八拾六

2015-05-13 20:29:46 | はらだおさむ氏コーナー
夜霧のかなたへ

昨年末から、ふたつめのコーラスにもぐりこんだ。
「歌は世につれ・・・」(昨夏出稿)でご紹介したわたしの“歌はじめ?”は、
昨春の急性肺炎がきっかけであった。11月の宝塚市の文化祭で初舞台?を踏み、仲間の男女数名が他のコーラスにも出演するとかで、こんどは客席に座って出演グループの歌声に聞きほれていた。トリに出てきた仲間たちのグループはロシア民謡三曲、そのフィナーレー「行商人」では、会場からブラボー!の声と拍手で盛り上がり、文化祭の取り決めがなかったらアンコールと花束贈呈になるところであった。
 創部35周年を迎えたこの混声合唱団は、昨年から40歳余のプロ(伊・留学、関西二期会会員・バリトン歌手、合唱団指揮者)を迎えた、男女各十数名の四部構成で、大学グリーや職域コーラスのOBなどと才媛が集まっていた。楽譜も読めず、発声もまともでないわたしだが、このロシア民謡には聞き惚れた。団リーダーにお聞きすると、ロシア民謡だけではないが、そのうちに慣れますよと肩を押されて、はや半年、谷川俊太郎の「信じる」や石川啄木の詩も練習曲に取り入れられていて、いまも口パクでしがみついている。

 表題にあげた<夜霧のかなたへ>は、「ともしび」の出だしで、学生時代“うたごえ喫茶”などで声を張り上げたわたしの“ナツメロ”だが、戦地に向かう恋人を送り出す歌とは、いままで気がつかなかった。
 ♪ 夜霧のかなたへ 別れを告げ/雄々しきますらお 出でてゆく
   窓辺にまたたく ともしびに/つきせぬ乙女の 愛のかげ
 
 これは一番の歌詞だが、五番はつぎのように終わる(のばら社『世界のうた』)。

 ♪ 変らぬ誓いを 胸にひめて/祖国の灯のため 闘わん
   若きますらおの 赤くもゆる/こがねのともしび 永久(とわ)に消えん

 いま『世界のうた』で、この「ともしび」の歌詞を拾い出していて、ことのついでにと目次を分類してみた。全20カ国、131曲、地域を大雑把に米欧(含む東欧圏)と中南米とアジアに分けてみると、米欧は116曲、アジア(含むオーストラリア)9曲、中南米6曲となる。シニアのナツメロの世界だから、わかいひとたちの愛唱歌はもっと変っていることだろう。国別でみると、アメリカ(34曲)、ドイツ(25曲)、イギリス(22曲)についで、なんとロシアが16曲の4位に食い込んでいる。以下イタリア(15曲)、フランス(14曲)と接戦、スペイン、ポーランド各3曲、チェコは2曲、スイス、ベルギー、ハンガリー、ノルエーは各一曲である。

 この歌集を繰りながら、他の国はそのメロディーを聴いてみないとわからない歌も多いが、なんとロシア民謡だけは12~3曲のメロディーがひとりでに口をついてくる。うたごえ喫茶やいろんな集いで耳にしていたからであろうか。
 このコーラスでわたしより年長者はW大グリーOBのおひとりだが、同年のリーダーにお聞きすると、十年ほど前まではソ連帰りの方も何名かおられて好悪の対決もあったとか。ロシアの合唱曲は、特に男声コーラスがベースになるといい歌が多いので・・・と、やんわりにらまれる。

 このところ、むかし一緒にロシア民謡を口ずさんでいた学友の訃報が続く。
 わたしたちは“ほしがりません 勝つまでは!”と飢餓に苦しんだ世代だが、
父や兄たちのように戦場には足を踏み入れてはいない。いわば“銃後の世代”、「戦争を知らない」を歌ってきた世代の代表でもある安部総理の、戦後七十年談話にいま、世界の耳目が集まる。
かれが崇敬する祖父の岸信介氏に、わたしは個人的にうらみがある。
1958年の、いわゆる“長崎国旗事件”で岸内閣がこれを器物破損罪(軽犯罪)で処理して、国交未回復の中国側からの謝罪要求に応えず、日中間の交流が途絶、それからの数年間、わたしの日中経済交流の仕事は開店休業とあいなった。
かれは60年アンポの反対闘争で国会議事堂を取り囲まれ、辞任に追い込まれたが、その前世~戦時下では、満州国の経済官僚のトップのひとりであり、東条内閣では商工相・軍需次官を歴任、戦時経済を指導した。戦後A級戦犯容疑者として逮捕され、48年末まで巣鴨刑務所に抑留されているが、米ソ対立の深まりのなかアメリカの対日政策が右傾、(何か満州国時代の情報提供などの裏取引もあったのだろうか)かれは釈放され、52年4月に公職追放も解除されて政界に進出、56年には総裁・総理に着任している。晩年のインタビューで「大東亜共栄圏はずいぶんと批判があったけど、根本の考え方は間違っていない」と語っている由だが(塩田潮著『「昭和の怪物」-岸信介の真実』~法学館憲法研究所HPより引用)、安部総理の心底にもこうした考えは流れていないか。

過ちを認めるのは、潔良い方がいい。
徳川家康は、政権樹立直後、秀吉の朝鮮征伐の尻拭いをしてその非を詫び、
日朝の国交正常化を実現、朝鮮通信使の受け入れを実現している。これには多額の出費も要したが、先進技術の導入や文化・芸術の交流も促進された。何よりも大きかったのは、秀吉政権時に植え付けられた日本人の対朝認識の払拭であったと見られている。当初は比較的定期的に実施されてきたが、正徳元年(1711)のとき、将軍家宣のご意見番に着任した新井白石は財政難を理由に以後の経費減額と期間の大幅な延長を申し渡した。幕府の対朝観に変化が生じてきたのはこのころからで、幕末の征韓論に行き着くとみられている。
 そのさきは明治以後の朝鮮併合・植民地化につながる。
 口先のお詫びだけでは、通じないのである。
 数字や事実のツメは、学者同士の研究と交流に任せておけばいい。
 ドイツの政治家が、アウシュビッツで誠実に詫びたからこそ、いまのドイツの先進国におけるリーダーシップが是認されているのである。
 そのドイツだが、東独出身のメルケル現首相は就任時の07年に消費税率を16%から19%に上げるとき軽減税率を食品に適用して7%に下げ、高額所得税率を3%上げて45%として、国の借金―国債をゼロにしている。日本の国債残高はいまひとりあたり800万円と倍増し、円安で企業業績はこの世の春を謳歌して、株価の上昇でミリオネールはふえているだろうが、それはどれだけ国益に貢献しているのか。ババをつかむのは、いつも庶民。戦時国債があの敗戦のとき、一片の紙切れに化したことを覚えている人も少なくなったであろうが、昨今中国がドル預金残高を減らし日本がトップになったことをどう見るか。中国人民元の国際流通化も進んできている。アメリカ経済があのときのように傾いたとき、日本の国債残高は耐え切れないであろう。ジャパン・デフォルト→強い日本に作り変えるのは、その財政管理である、軍事力ではない。アメリカの軍需産業―死の商人の思うままに軍事力強化~兵器の増強を図り、自衛隊の海外派遣を認めて、その傭兵になるのはどういうことだろうか。

 ロシア民謡からのはなしが、硬い・きな臭いものになってしまったが、青春のあのとき声を張り上げて歌ったあのうた、そう「黒い瞳の」でも歌ってお別れにしよう・・・。

 ♪ 黒い瞳の若者が わたしの心を とりこにした
   もろ手をさしのべ若者を 私はやさしく 胸にいだく ♪ (了)
 
                      (2015年5月14日 記)

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1 コメント

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うたはいいものですね~ (ku-ma)
2015-05-13 20:36:34
はらだ 様

声を出す機会が少ない私は、できるだけ声を出して歌を歌おうと努力しています
昨日も先輩に誘われて、歌声サロンに行きました
中高年と思しき男女が気持ちよく声を張り上げて楽しんでいて、いいひと時を過ごせました
お互い頑張りましょうね!!
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