冬来たりなば・・・
年末に上海の老大人(ラオターレン)から動画のメールをいただいた。
中国へはよく足を運んだが、生活をしたことがないわたしは、季節の変わり目のあいさつや民間の行事にうとい。サンタや子供たちが出てくるこうした動画(童画)は、いま中国のネットに溢れているのであろうか。
「12月21日は冬至、4日後にはクリスマスがやってくる」
♪あ~といくつ寝ると、お正月・・・♪とひとりでに口ずさんでいるわたし。
「それから7日のあとに元旦がやってきて、39日経つと除夕(大晦日)、
楽しい一家団欒の日だ」
そうだ、この日はギョウザを食べるんだった、そして明け方まで爆竹の音。
新年 好! 新年 好!(シンニェン ハオ!)
「農歴新年(春節)快楽」、ことしは2月10日である。
中国をはじめ、東南アジア諸国ではこの日が、年のはじめ、お正月である。
しかし、まだ春はめぐってこない。
さらに15日あとの「元宵節」を迎えて、やっと春の訪れを祝う。
日本でなら「小正月」にあたるこの日、中国ではこの宵、美しく飾った灯籠の下で団子を食べるのだが、むかしの日本ではどうであっただろうか。
今年の正月、わたしはときおりこの動画を見ながら中国の風景や老朋友たちのことを思っていた。
文革が終わり、改革開放がはじまった80年代半ば、いまは工場やビルで埋め尽くされている上海郊外の農村で、わたしははじめて元宵節の灯籠のアーケードをくぐり、招待所の酒宴に席を連ねた。春がやってきていた、あたらしいプロジェクトが動きはじめていたのであった。
そして、いまは酷寒の冬のさなか、春が訪れるにはこの先いくつものことを乗り越えねばならないと、この動画は教えているようである。
上海で日系企業などの経営諮詢事業を長年展開しているAさんの年賀状に
つぎのような一節があった。
「昨年は日中国交正常化40周年の記念すべき年でありながら、両国の諸先輩が40年間積み上げてきた互いに対する親近感を一挙に失墜してしまうような悲しい事態となりました。人災としか言いようがありませんが、20万人の中国で働く日本人にとっては、まことに残念かつ過酷な状況となってしまいました」
いまは東京に事務所を構えて同じく対中投資の諮詢をしているBさんは「目下の中国コンサルの仕事は、現法のリストラと撤退が中心です」と。
Cさんはマーケッティングが専門である。
昨年の年賀状では、「上海国際マラソンに出場。激走のあともケロッとした余裕の表情!」と完走後の写真が印刷されていたが、今年は“冬の風物詩”として上海の街に定着していた恒例のマラソンも「あの小さな島」の影響で中止となり、いまはそれどころではない。
「・・・初めて中国の土地を踏んでから20年。少しオーバーですが、いままでの人生の三分の一ほど、中国に関わってきたことになります。そして、おそらくこれからも関わり続けることになると思っています。そんな私にとって昨年の反日の動きはショックでした。40年前に小平さんは『次の世代の人はもっと賢くなるから、きっと良い解決法を見つけてくれるでしょう』と言いましたが、どうやら人間はあんまり賢くなっていなかったということでしょうか・・・」
この三人の知友とは20余年来のつきあい、とくに90年代の初めは対中投資の推進でともに汗を流してきた。これらの年賀状に記された、その思い、その悔しさには身にしみるものがある。
新春になってふたつの“世論調査”を見た。
「日中韓経営者アンケート」(「日経」1月7日)と「日中ネット意識調査」
(「神戸」1月6日)である。前者は日本経済新聞社が韓国の毎日経済新聞と中国の人民日報系の日刊紙、環球時報と共同実施されたもの(昨年12月)であり、後者は天児慧早稲田大教授の協力を得て質問を作成、「サーチナ」と「日本リサーチ」に登録のモニターに呼びかけ、共同通信社が実施した(昨年11月末~12月初め)。両者の実施対象や項目が異なるので、対比検討することはむつかしいが、ここでは日中の領土問題関連にしぼって、その調査結果を見たい。
「日経」では、領土と歴史問題について、日本の経営者の5割が、中国でも25%が「悪影響を受けている」と回答、具体的影響(複数回答)としては「売上高が減少している」が、日本では74.1%、中国でも69.2%と最多である。「日中間の政治のあつれきが、双方の企業活動に波及している様子が明らかになった」とのコメントがある。
「神戸(共同)」では、関連の設問がさらに多岐にわたっている。
まず相手国への信頼度であるが、「できる」は日本が5%であるのに対し、中国は31%、日本の回答者のほうが「坊主憎けりゃ・・・」の気配が強い。
尖閣国有化をめぐる日本政府の説明について、「非常に理解できる」が日本の10%に対し、中国が5%もあるのにはむしろ驚いた。「ある程度理解できる」は日本が52%、中国が17%、このふたつで日本が62%に対し、中国が22%、五人に一人の中国回答者が日本政府の説明に耳を傾けている。中国側の自由回答では、「武力衝突も辞すべきでない」との強硬意見や「軍国主義の復活にこそ注意すべきだ」「裏で画策しているのは米国だ」との指摘も。「日本には愛と憎しみの感情がある。漫画文化は好きだが、侵略は恨む」と複雑な心情を吐露する意見もあったと紹介されている。
天児教授は「若者の考えは多様」と題して、つぎのようにコメントされている。「・・・中国人の3割が『日本を信頼できる』と回答しており、中国が反日一色ではないとも捉えることができる。年代別にみると、反日教育の影響を強く受けたとされる20代の若者も、4割近くが『日本を信頼できる』と回答していた。反日デモに対しても、全体の7割が『行動は行き過ぎ』と批判的な見方を示した。・・・」「・・・一方で、日中協力の目玉だった政府開発援助(ODA)について6割が知らないと答えており、中国側の理解不足は明らかだ。・・・」
小正月も過ぎた、とある週末の夜、大阪のレストランで崔 衛平女史を囲む“トーク・イン”があった。ご存知、“中国の知性”、北京電影(映画)大学教授、司会者の紹介によると“高級知識人”である。
崔さんについては、『徒然中国』其之五六の「傷ついた鳩」で以下のように紹介している。
「九月末から十月にかけて、日中の知識人の声明が相次ぐ。先ず日本で作家の大江健三郎さんなどの声明「『領土問題』の悪循環を止めよう!」が発表され、これに刺激を受けた中国人の作家崔衛平さんが五人ほどの仲間と文案を練って十月四日にネットで『中日関係に理性を取り戻そう』と声明を発表、十三日現在ですでに六百人以上の署名が集まっているという(中国での署名は当局の注意・拘束の対象ともなる“勇気”のいる行動である)。東京新聞とのインタビューで崔さんは『領土争いを民間交流に影響させてはいけない』(以下略)と語っている」
今回の来日は国際交流基金の招聘によるものらしい。
開口一番、崔さんは広島の「被爆者二世」の女性と昨夜遅くまでいろいろと語り合ってきた。自分は「抗日二世」、父は「延安老幹部」、今回の訪日に父は反対こそしなかったが、意見が異なった。中国人は日本に対して「怨気(恨みや不平不満)」を抱いている、南京の「抗日記念館」の建設を最初に建議したのは私であるとの率直な自己紹介に、一瞬耳をそばだてる。
会場で配布された東京でのインタビュー(及川淳子・法政大学客員研究員)では、この「怨気」についてつぎのように語っている。
「これはウイルスのような悪さをしているが、さらにやっかいなことに、日本に対する中国人の感情は、吐き出すにしても押さえるにしても当局によって自在に操られてしまっている。自分たちで対日感情を飼いならすように理性をコントロールすることが必要だ。歴史や領土の問題をめぐり、怒りで高まった温度を下げる努力をしなければならない。・・・自分自身のことを言えば、日本に対して戦争という『陰影(暗い影)』がある。これは普段は言葉にすることはないが、重苦しく存在している。このような『怨気』や『陰影』にどのように向き合うかというのが重要な問題だ」
あの島に、『怨気』や『陰影』が漂っているのか。
日中に春が巡ってくるには、まだまだ時間がかかるようである。
(2013年1月20日 記)