くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

神照寺 (滋賀県)

2012-09-30 10:48:05 | 寺社・仏閣
「まんじゅしゃげ」を見たいと滋賀県へ出かけた
以前は、琵琶湖を見ながら田んぼの中を見渡すといたるところ真っ赤の「まんじゅしゃげ」
を見ることが出来たのに、高速道路から眺めていても赤色が見えない

あれ~

もう終わったのかな

草津インターで降りて国道8号線を走る
インターネットで神照寺が出ていたのでとりあえず立ち寄ってみた






ここは萩の名所


名残の萩




思いがけずに名水百選の自噴水




きれいな、冷たい水が噴き上がっている。
一口頂くと無味無臭 さらりとした水 京都の水とは少し違う



「ふじばかま(藤袴)」

蝶が飛び交っていた


お目当ての「まんじゅしゃげ」が木陰にひっそりと・・・・・



ふじばかま→生草には香りはないが、乾燥すると草と茎がさわやかな香りするところから
 「香蘭(こうらん)」・「王者香(おうじゃこう)」とも言われます。
 万葉時代から詩歌で取り上げられることも多く、藤色の袴にかけたり香りのよさを紀貫之は歌に詠みました

 「やどりせしひとのかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ」







徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之五拾五

2012-09-24 21:47:43 | はらだおさむ氏コーナー
                
一夜漬けのおはなし      


 選挙が近づいているという。
 こわし屋で有名な先生が「国民の生活が第一」を党名に、取り巻きやチルドレンたちを集め、“維新”は「参議院廃止、衆議院の定数を半分」など高邁な狼煙を掲げて、“信”を問うという。
 ことばだけは結構なお話であるが、なにがわかっているのかと自問した。
 たとえば消費税のこと、5%が8%、ついで10%になる、増税はだれでも
好ましいことではないが、それがどのように使われているかが問題。ヨーロッパではどうか、中国ではどうかと考えが及んで、中国の増値税のことが気になった。
 税率17%の増値税は、課税対象が異なるのでイコール日本の消費税ではないが、中国の庶民にとってそれは税負担と受け止められているのか。駐在経験の長い後輩に聞いてみたが生活上では消費税と受け止めていた記憶はないと、知人の中国人に尋ねてくれた。転送されてきたその返事では、一般的な説明のあと、政府高官の汚職問題についての憤懣が述べられていた。さもありなん、文革再現を思わせるような言動で人民の支持を受けていたと思わせるリーダーが海外などにも不正の蓄財を隠し持っていた、この国の上層部。庶民の不満は充満しているが、一党独裁でそのはけ口がない。とすると、日本のつまらぬメディアも、それはガス抜きになるのか、それともそれは、たぶらかしなのか。

 一日大阪へ足を運んで、年来じっこんの専門家(公認会計士・税理士)に教えを請うた。わたしにとって一番の問題は、あまり買い物の経験がない、日常的にレシートを見て、消費税のことを考えたことがないということであった。本を買う、そのとき裏表紙にxxx円+税とあるので、支払いのときは消費税を負担したと自覚する。しかし、コンビニなどでたとえばドリンクを買い求めても、レシートは見ずに捨てているが、話を伺いながらレシートを見つめると、表示価格の下に、内税xx円となっている。これは内税なんでしょう、業者負担の消費税なんでしょうと質問すると、さにあらず、表示価格の内にxx円の消費税が含まれていますよということ、と教えられた。それが増税になったとき即、表示価格にモロに反映されるとは日本の市場競争下では考えられないが、負担する税金が増えるのは間違いない。
 西欧の国々では、医療費や教育費は無税と耳にしていたので羨ましく思っていたが、日本でも医療費(社会保険対象)や授業料・教科書は消費税の非対象と聞いてあれあれ、と思った。
 中国でも書籍や新聞、ガス・水道は増値税も通常より安い13%に設定されているとか(電気は要節電のためか17%)。

 ところで、中国の増値税の仕組みはどうなっているのか。
 わたしは最終の小売段階では、内税とばかり思っていたが、さにあらず。すべて、外税であるが、小売段階では日本式の表示価格となっているため、消費者は気づいていないだけの話とか。
 中国の増値税の仕組みのなかで、発票(ファーピャオ)という公式のインボイスが重要な役割を果たしている。この発票は税務当局発行のもので、すべてこれで管理されている(一時偽の発票で混乱したこともあったとか)。そして、その税率は17%と表面的に高く見えるが、実際は販売額x0.17-仕入額x0.17になるので、納付税額は数パーセント以下となる。
 たとえば仕入れ金額80円、販売額100円の場合、(100x0.17)
マイナス(80x0.17)、つまり17円-13.6円=3.4円で、この場合、販売額100円の納付税額比率は3.4%になる(これは業者間の取引のケースで、最終消費者が負担する基本増値税率は17%である)。
 中国の消費者(含む駐在員)も日常生活では税負担の意識がないのは、わたしと同じようなことなのであろうか。
 それにしても言い値では買わない、値切らなければ買い物をした気がしない中国の人を相手とする小売店の、税務処理はどのようなかたちで実際に処理されているのであろうか(日本では一千万/年以下の小規模業者は無税であるが、中国でも小規模販売者は仕入れ額控除無しの、販売額の3%増値税が課されているようである)。

 また、サービス業や不動産業は増値税の対象ではなく、営業税3~5%が内税として課税され、これは地方税であるとか。ウ~ン、地方都市の建築ラッシュの裏にはこの税制があるか、業者と役人の癒着が問題になるのもゆえなしとしないか。
 また、先述の増値税は75%が中央の国家税務総局に納付され、25%は地方財政として運用されている由。日本のように中央からの地方交付税システムではなく、地方財政は営業税を含めてかなり豊かなようである。

 中国の税制に、遺産税(相続税)や贈与税がないのが気になった。明・清時代じゃあるまいに、付け届けから袖の下に至るまで制度的に野放しになっているのはどうしたわけか。これでは地方は言うに及ばず、中央高官から解放軍に至るまで汚職まみれになるのは自明の理で、庶民の嘆きと憤りはマグマのように内にたまる。

 事務所に税理士法人キャストの三戸俊英公認会計士のペーパー『中国税務』があった。営業税の、増値税への移行が上海などから暫行されているようだが、
内容は専門的でよく理解できなかった。中国で法の制定は、暫行・試行から制度化されていくのが通例なので、大都市から暫時地方へと改正・実施されていくものと思われる。

 さて、日本のこれからの消費税のことなど。
 素人のわたしが云々できる問題ではないが、将来的に消費税の高率化が避けられないとすれば、まず行政や立法機関の自らの身を切る姿勢が必要であることはいうまでもない。欧州のように生活関連や教育・医療・文化関連品目は無税または低率とする分離課税とすることと、個人や企業の寄付行為を促進するためにその無税化を図ることなどをベースに議論を進めてほしいと考えている。低所得者などへの現金支給などは、怠惰な国民をふやすばかりである。一時期の中国ではないが、自力更生、刻苦奮闘が生活の基本であろう。

 いま思いついてネットサーフィンし、本田直之さんの「北欧が世界幸福度ランキングトップにいる理由」を見つけた。

 「北欧諸国があらゆる『幸福度ランキング』で上位を占めているのはなぜか。世界的に見ても豊かなはずの日本が、どうして81位なのか(2010年ギャラップ『世界幸福度調査』より)」
 そして、デンマークの団体勤務のリナ・インヴァンセンさんの次のような談話が紹介されている。
 「所得の多い人はかなりのものを払う。所得が少なければあまり払わない。平等とまではいかないかもしれないけれど、肩幅の広い人が社会の安定を担っていく。もし何かが起こっても、今の生活を維持していくことが許される。そこにすごく安心感があるんです」

 日本もこのような国になってほしいと痛感した。

(2012年9月12日 記)

鉦たたき

2012-09-22 10:21:32 | 四季おりおり
『鉦たたき』の音をここ数年聞いていない
夜半のラジオから、『鉦たたき』の音が聞こえ始めたという知らせ
もう わが狭庭では、いなくなったのか

数日後の早朝のラジオから
耳が遠くなると、『鉦たたき』の音は届かなくなる・・・・・
あ そうか
加齢とともに、聞き取れていないのか
信じたくないけれど・・・・・

まだ、わが狭庭で『鉦たたき』が初秋の夜半
ひっそりと、鉦音を奏でていることを
ひそかに祈った


★バッタ目 カネタタキ科の昆虫 
 オスは約9mm 長円形 後翅なし
 
 メスは無翅、触角は長い 腹端に2本の長尾毛がある

 オスは秋、広葉樹の間で「ちんちん」と鳴く 

古文書徒然其之四(2)

2012-09-17 21:46:10 | はらだおさむ氏コーナー
猪名川の氾濫
~ 元文五年(1740)の洪水を中心に ~

(三)

 慶長八年(一六〇三)から慶応三年(一八六七)まで二百六十五年間の江戸幕府の時代、「江戸時代年鑑」(遠藤元男・雄山閣)によると、洪水は全国で四年に三年、畿内では四年に一年の割合(平均)で発生している⑦。
 元文五年(一七四〇)では、六月京畿水害、閏七月京阪に大水害と記載されている。
 猪名川の上流から下流までの全域の状態はどうであったのか。

流域の自治体史を上流からひもといていくと・・・。
「猪名川町史」、ふだんはおだやかな猪名川も、いったん豪雨に見舞われると手のつけられない暴れ川に変身すると、慶長二年以降の洪水爪あとの記録が記載されているが(同2巻)、この元文五年については前年の普請工事(同4巻「南田原自治会文書」文書)などが功を奏したのか、銀山町の四ヶ所の土橋すべて流出(同歴史年表)との記載しかない。
「能勢町史」(第3巻)の「洪水不作ニ付平野村御普請願」(元文五年申十二月「藤井武雄文書」)では、「今年之儀、以上五ヶ度之大洪水ニ而夥敷損亡仕」の記述がある。北攝の山々に降りしきった豪雨は能勢から多田銅山の夫婦間歩などを水没、操業中絶に追い込んでいる(「かわにし」第2巻二七二頁)。
銅山を越えた濁流は、一挙に一庫川にあふれ、流れ下る。

 一庫村から多田院の堤を破り、猪名川を駆せ下った土石流はいまの池田市北部の古江町の堤を突き崩し、川西市の出在家町(現川西市役所附近)を覆い、久安寺川(余野川)を下ってきた濁流は、猪名川本流との合流地点・池田市木部町の田畑を埋め尽くす。
 伊居太神社日記は六月九日の当日、つぎのように記している。
 「・・・古江土橋流れ、・・・久安寺橋落箕面橋今年大□□施主橋落ル、出在家ノ上かも湯ノ下より切候へ共松はへ故砂入不申、出在家へ水入古眼へ水泥入、
火打屋の下より小部村の間栄根寺迄田地へ水入綿なとおこす処も有、・・・」
 火打は、川西市役所の西、栄根はJR川西駅の附近になる。
 
伊居太神社(イコタサン、上の宮)の由来については諸説はあるが⑧、いまの社(やしろ)は五月山ふもとの綾羽町にある。猪名川の東岸に面しているが、濁流は五月山に阻まれて冠水は木部町から対岸の小花、栄根に達し、いまの猪名川運動公園を覆って伊丹市域へと流れ、さらにリバウンドした逆流は東岸の堤を崩して神田(こうだ)村に襲いかかっている⑨。
 ところでこの日記、筆致はきわめてドキュメンタリ風に洪水の流れゆくさまをビビッドに描き出しているが、この小文の冒頭に引用したように豪雨は九日の夜中から発生している。
 「十日、ふり、暮方西ノ口へ見ニ行、昼迄古江河迄行、夜ふり止」と行動を開始したのは翌日から。九日の洪水の流れゆくさまは、後日の取材?(氏子などからの報告・情報収集)による記述であろう。なにはともあれ、洪水は猪名川の中流域を襲って行くのである。

 宝塚市平井の奥、満願寺から流れる最明寺川は川西市の栄根附近から猪名川に沿って南下する。その流域の「加茂井組」には、いまの川西市の加茂、久代と伊丹市の北、北のうち鋳物師、辻、伊丹坂と伊丹郷町がふくまれていた(「かわにし」第2巻)。
 伊居太神社日記の六月九日はこのように記録している。
 「・・・中山海道より小花へ切レ込、小花西へ川流レ、栄根へ水入、小花つつみ辻道より切、辻へ水入、下加茂家流れ屈(崩)レ七人死ス。・・・有馬海道ゑびやひらきより・・・久代村へ水入、・・・新田の南切込、辻の北村水ニひたり・・・」
いま、文中に句読点を入れながら、絵図をにらんでいる。
六月九日の伊居太神社日記は、伊丹市域の「辻」⑩までの濁流と浸水の被害をこのように記録しているのである。

                  
⑦「江戸時代年鑑」より筆者が集計、分析
⑧小野寺逸也「式内伊居太神社の所在地比定をめぐる諸問題」(「地域史研究」第7巻第2号通巻20号、一九七七)
⑨「徳永孝哉文書」にはこの洪水の切所の詳細が中流域まで含め図示されている。
⑩小松左京氏はこの地点を「摂津のへそ」と呼ぶ(「伊丹からみた摂津」)。大国正美編著「古地図で見る 阪神間の地名」にはその由来が述べられている(P九〇~九一)。


(四)

照顔斎の「有岡古続語」(坤)⑪の文末近くに、「祖父に及聞事」と題してこの水害の思い出話が記されている。

「元文五年申年六月九日夜洪水にて上在ハ勿論下市場外崎夥敷人死有之、則下市場入口に溺死の石碑ある也、・・・」⑫

元治二年(一八六五)の記述である。
百二十五年前の水害が「祖父に及聞事」と語り継がれてきている。
それは、いまから明治拾年代の事件を思い出すような昔話になるのであるが、それだけに当時の被害の大きさとひとびとの恐怖が偲ばれる。
「角川日本地名大辞典・兵庫県」によると、下市場(しもいちば)村はいまのJR伊丹駅の東南、藻川に面した東有岡町附近、外崎(とざき)村はその西の伊丹台地の下に立地、隣接の高畑村も含め、元文五年の洪水で流失、数年後の延享三年ごろまで離村のやむなきに至っている⑬。

猪名川と箕面川の合流地点・中村にも被害が及んでいた。
「伊丹古絵図集成・本編」(伊丹資料叢書6)に、八木哲浩氏の解説がある。

「元文五年(一七四〇)六月九日夜から翌十日にかけてと閏七月一日の大雨による出水で、近世でも例が少ない大洪水となった。ことに六月の洪水では猪名川・武庫川とも各所で決壊し、大きな被害を出した。
中村地先の猪名川堤も切れた。それだけではなく、猪名川から取水し中村の村なかを流れる中村井溝も四ヵ所で切れている。また箕面川も上流瀬川村(箕面市)で切れ、その被害は全村域にわたった」
そして本書五五頁には、「元文五申年洪水ニ付堤切水押絵図 摂州川辺郡中村」と(裏書)された本絵図が掲載されている。

いま、「元文五年猪名川藻川洪水絵図」(「宇保 登文書」⑭を眺めている。
池田川(猪名川)と藻川に挟まれた通称「島之内」の北端・田能村へは、本流がその右岸(西)の堤を大きく破り「三ツ又井」の西溝、中溝を伝って中食満領から藻川(左岸)へ突っ込んでいる。「三ヶま(上・中・下食満)領内三丁之間堤なし」とある。
藻川の上流ではすでに「上食満領切所」と「上食満村切所」があり、さらに本流の堤を破って藻川に流れ込んだ濁流は、藻川中流の右岸(西)の堤も破って三食満(本村=藻川西岸)内井溝を南流している。
藻川はさらに中流と下流の左岸で二箇所、島之内側の堤を破っているが、水の流れは藻川西岸に押し寄せて瓦宮村に達している。
本絵図の猪名川本流の切所は先述の一箇所しか描かれていない。
「豊中市史」本編・史料編でも、元文五年については千里川からの井堤、庄本の悪水堤の小決壊の図示があるだけをみれば、この地域の被害は藻川西岸に比べ小さかったということになるのだろうか⑮。

本絵図は四色(カラー)で、御料・私領、堤、道、川溝が区分、切所箇所・間数も明示され、濁流が波立ち流れるさままで描いている。
「洪水六月九日夜八ツ時 元文五年申六月二十八日差上候」とある。

もう、濁流は井溝からあふれ、尼崎藩領内に「水押」して来ている。
元文五年申六月十日の夜明けである。
(つづく)
             
⑪「有岡古続語」伊丹生まれの歴史家・梶曲阜(安政十一年~明治七年)が元禄以降の郷土に関する様々な事情や伝来の書物を後世の人に伝えたいと元治二年(一八六五)に著わした乾・坤2冊の書。
⑫「災害情報データーベース」によると、死者は四十二人とある。
⑬流域の地名を「角川」と「平凡社」の地名辞典ですべてチェックしたが、元文五年の
 洪水被害に触れられていたのはこの三箇所のみであった。
⑭藻川流域の被害状況をダイナミックに描いていて迫力があるが、上坂部村の「徳永孝哉文書」に比べやや精度が乏しい。
⑮「徳永孝哉文書」によると、猪名川本流の西岸には切所の図示はないが、東岸の利倉(豊中市域)に二箇所、千里川口北堤に一箇所の切所をそれぞれ示している。さらに「郷土~庄本の歴史を中心に~」(郷土の歴史研究会)では、元文五年の洪水に関する庄本村について、宥免高(石)は二三九・八六一石で村高の九二・七%が全滅状態、土砂入水押が原因と記している。これらの史料は豊中市域にも被害が及んでいたことを物語っている。

あなたへ (映画)

2012-09-13 08:31:48 | 四季おりおり
高倉 健さん主演の 『あなたへ』 を見た
NHK TVでも取り上げられ、民放でもコマーシャルが流れている
81歳になった健さんを見たくなった

私の子ども時代に、姉たちの影響でよく映画を見に連れて行かれた
美空ひばり・江利チエミ・雪村いずみと共演した映画はほとんど見たように思う

そして、やくざ路線・・・・・これは見ていない

「しあわせの黄色いハンカチ」 「居酒屋兆次」  「老騎千里を走る」

これらの映画は見た。

健さんは、後ろ姿や歩く姿はほとんど変わっていない。
年は感じられない
顔のしわが、少し深くなったか
年齢を感じさせない姿だった

共演の大竹秀治さんのことを、すばらしいと感謝しておられたが、お二人とも
いいお年を経ておられる

それにもまして、共演の田中裕子さんは、静かな存在で澄み切ったきれいな歌声を
聞かせてくれた。
この童謡が宮沢賢治の詩だったのだ 知らなかった!!


これまでの人生に重なる部分が所々に見受けられ、
しみじみとこころにしみてくる映画です


シャンソン

2012-09-06 10:48:57 | 四季おりおり


8月も終わりの午後
リッツカールトンホテルのホールで
シャンソンの会が開かれた










フランス料理をおいしく食べ、食後のお茶とケーキを頂きながら
ホテルのホールであることも忘れて
シャンソンに聞き惚れた

知人の青木さんも出演された
「あなたへの季節風」よかったです (ご自作の詩)

(青木小夜子さんで検索してね)




おいしかった!!

2012-09-04 15:59:43 | 四季おりおり



今年も、たくさんの桃を食べた

連れ合いは

桃の皮がこわ~い

さわると、毛穴がたつ


でも 桃の実は大好き

私は、桃を見かけると必ず買う

それも、果肉が硬めのものが好き


今年もどれだけの桃の皮をむいたことだろう

おいしかった~


もう 桃の季節も終わり

9月

2012-09-04 15:51:06 | 四季おりおり



今年もよく咲いてくれた

知人からプレゼントされた芙蓉は、酔芙蓉だった

咲きはじめは白い色

昼過ぎから、少しずつ色ずいてきて

夕方になると、濃いピンク色になった


ところが

いつのころからか

先祖がえりしてしまった

そしていまは

最初から薄いピンク色

どこにでもある 芙蓉のはな



まるで私の人生のよう