くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

クロアチア(ドブロヴニク)

2014-09-28 22:53:19 | クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツゴ
ドブロヴニクは5㌔の城壁に囲まれた「アドリア海の真珠」と呼ばれる観光地
世界各国からクルーズ船が訪れる
世界に先駆けてシャープペンシル、指紋判定機、保険システム、米国独立を
認可し、魚雷制作もした所
ヨーロッパで3番目に古い薬局(1389年)があったりドミニコ会修道院
フランシスコ会修道院、大聖堂と見るものには事欠かない


ドブロヴニクのホテルは2連泊(4つ星ホテル)
食事は美味しいし、海の見えるテラス席は居心地が良い

世界遺産のドブロヴニクの観光
そして午後からは、オプションに参加しないでフリータイム
私が旅に出る前の情報収集中、一番評判の良かった観光地です

ホテルからのバスの中からのドブロヴニク




城壁のの内部に入れば観光客があふれているが・・・・・




手作りのレース編みを売る婦人


城壁への登り口


城壁から現に生活されている方の暮らしが見える






海側の城壁






スルギ山にケーブルカーもあったのだが、当日は風が強くて運転中止


左手前に見える島の裏側にヌーディスト海岸がある


5㌔の城壁を海側、山側とのんびり歩いて城壁から街の中の生活を垣間見たり
大聖堂の鐘の音を聞きながら、車も電車もない城壁の内部を歩いたり海を眺めたり、
土産物屋をのぞいたり、博物館や聖堂や修道院を見学した

田中真紀子夫妻が食事をしたといわるイタリア料理レストランに入ったが(日本語メニュー
があるので日本人観光客がちらほら来られたが、値段の割に・・・・・でした)

ここでもう1泊
















クロアチア(トロギール・スプリット)

2014-09-28 11:12:18 | クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツゴ
この朝、錦織選手がチリッチにストレート負けしたと知り、
散歩に出ると地元のおじさん達から
「ヤポン」
「イエス」
「錦織?????」「チリッチ?????」
とテニスラケットを振る真似をする

「コングラチュレーション」

気さくな人たちです 
やはり、観光国です  人々は目が合えば微笑んでくれますし・・・・・


静かな内海に早朝漁に出かけている 


仲良し猫ちゃんは、おじさん達に魚をねだる
おじさん達は、ぽいと魚を与えていました




トロギールの町は紀元前3世紀にできたギリシャ人植民都市11世紀には司教区ができ
ハンガリー王の支配下に入るが自治権を持つ都市として繁栄した
1420年から1797年までヴェネツィア、19世紀にはハプスブルク家に支配された





島ではあるが橋一つで繋がっており、周りは城壁で囲まれている




気温は日本と変わらないが湿度がない 快適です

見たことのある槿の花がたくさん咲いている


オリーブもたくさん実がついていた


204㌔バスで移動してドブロクニクへ








クロアチア (オバティア・シベニク・トロギール)

2014-09-26 09:32:09 | クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツゴ
オバティアのホテルは海の見える高台のホテル


途中トイレ休憩で立ち寄ったティールームは、澄み切った海の上
9月とはいえ、リゾートのヨーロッパからの人たちが海水浴をしたり
のんびりと海風に吹かれながら遊んでいる
ティシャツに日本語が書かれている男性に「ジャパン」と聞かれて
すこし話してみる、イタリア人でファミリー
「大阪へ昨年行った、日本は素晴らしい」(私の語学力はこの程度)


駐車場ではキャンピングカーが結構駐車していて、この車の中では
男性がステーキを焼いていて、いい香りがした
木陰で女性二人がテーブルセッティング中で、ランチかな~


高い山はないのだけれど、石灰岩の山が連なっている
木は、低木しか育たないそうです




280㌔高速道路を走りシベニク着
「世界遺産 聖ヤコブ大聖堂 レプリカ広場」



聖ヤコブ大聖堂は15~16世紀にかけて建造されたもので、最初はゴッシク様式で作り始めたが
方針変更でルネッサンス様式で完成された

ヤコブ聖人は、鉄板焼きの鉄板と金串で処刑され、今も街のシンボルであり、街を守っていると
伝えられている

71人の人面像が壁に彫られている


街の中には、犬や猫用の水飲み場がある


そしてトロギールへ






クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツゴビナから帰国しました

2014-09-19 15:20:30 | 
トラブルもなく、帰国しました(9月8日から17日まで)

9月8日 関西国際空港からイタリア・ローマまで(9750㌔ 12時間)
13時15分発 ローマ 21時15分着(-7時間の時差)

機内食
口当たりのいいワインだったので、ずいぶん飲みました






ラストにおむすび  おいしかった

眠りに入るころ、機内最後尾では飲み物サービス



ローマより国内線でトリエステまで飛び、バスに乗り換えオバティア(クロアチア)

満月の月を見ながらの、国内線乗り換え



美しい満月でした

日本民家集落博物館

2014-09-06 23:03:12 | 今週の館内
今週はG:COM TV からの取材がありました
”あるみかん” のかわいい2人がインタビューに来られました
(あるみかんは松竹芸能所属の芸人さん、角座に出演されています)



楽しく撮影が進行しました
参加ボランティアの皆様



土曜日には9月最初の茶会





不順な天候にも負けずに日々秋に移ろっています



しばらく、旅に出ます!!

徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之七拾七

2014-09-02 16:05:32 | はらだおさむ氏コーナー
歌は世につれ・・・


春先に急性肺炎でダウンした。
病癒えて歯科医で定期治療のとき、5年有効の予防注射をしているのにとつぶやいたら、それがカバーするのは20数パーセントの肺炎球菌のみ、原因不明が30数パーセントもあり、口腔内、鼻腔内に巣くう肺炎菌も多い。口腔も筋肉、高齢化に伴い弱ってくる、鍛えなければと新聞の朗読を勧められた。それはねぇ~・・・と口ごもると、カラオケはと。それはダメ、一杯飲みたくなりますよ、という次第でボイストレイニングのコーラスをはじめることになった。
6月から入会したコーラスは女性四十数名(ソプラノ・アルト)男性数名で、まずからだをほぐす準備体操から♪アァアァア~♪と発声練習のあと、『日本のうた』『世界のうた』(野ばら社)から三曲ほど歌う。8月はじめの例会では♪こよなく晴れた青空に・・・あぁ~長崎の鐘がなる~♪を厳粛に合唱した。
カラオケもなかったわたしたちの世代は、「うたごえ喫茶」にたむろして見知らぬ人たちとロシア民謡などを合唱したものだ。先日の例会で男性メンバーのみのコーラス披露を所望されたとき、期せずして「ともしび」を選び♪夜霧のかなたへ 別れを告げ・・・つきせぬ乙女の愛の影♪と合唱して、むかしの“乙女たち”からブラボー!と喝采をうけた。

初訪中のとき(1964年2月~4月)、公司への答礼宴でわたしが歌ったのは♪アジアの兄弟よ はらから(同胞)よ♪ではじまる「東京-北京」であった。あとでホテルに駐在のひとから中国では宴席で歌う習慣がないとたしなめられたが、まだ国交未回復の“友好貿易”の時代、♪友情のしるしは 東京-北京♪が、やがて日中の津々浦々に響くことを期待していたのでもあった。あの宴席におられた(商談ではお目にかからなかった)片腕の方(たぶん戦傷者)がニコニコとわたしを見つめておられた情景は、いまも眼底にひそんでいる。

『世界のうた』には中国のうたが三曲収録されている。
「太湖船」(中国民謡)、「羊飼いの娘」(竹内実訳詩、にはオドロイタ、『岩波漢詩紀行辞典』編著の竹内先生のこと、まことに適任だが、これは知らなかった。作曲は金 砂)と「草原情歌」(中国民謡)。前の二曲は歌ったことがない。

1976年10月、北京。
わたしたち「ベトナム経済視察団」一行は、ハノイから南寧空港経由で北京に到着したばかり、「四人組逮捕」のニュースは南寧で耳にしていた。
この視察団は南北統一直後の訪越団でビルマ(現ミャンマー)~ラオス経由でハノイに入り、ハイフォン、ホーチミン(旧サイゴン)も視察のあとまたハノイに戻って、経済団体や貿易公司などとも接触した。
Mさんは総合商社の幹部でわたしと同年、東京外大中国語科の出身であったが、東欧圏の仕事が中心ではじめての、あこがれの北京入りであった。受け入れ・接待は中国国際旅行社、その夜の訪越団のお別れ宴はわたしたちもやっと口慣れた中国料理に舌鼓を打ち、アルコールに酔いしれてきていた。歌が出はじめた、Mさんも立ち上がり「草原情歌」を口にしはじめたとき、旅行社からストップがかかった。反革命、ブルジョアの歌だ、という、団員の「友好商社」の一部のひとたちも同調、反対の輪が広がる、わたしも「友好商社」の役員だったが、何を言っている、なにが反革命、ブルジョアの歌だ、中国の民謡ではないか、「四人組逮捕」のいまでも、そんな馬鹿なことを言っているのか、と怒鳴り、睨みつけ、Mさんの腕をとり、うながして「草原情歌」を歌いはじめた。♪はるかはなれた そのまた向こう・・・♪歌声は大きくなり、合唱の輪が広がる。♪ツアイナヤオユアンデイ テイファン・・・♪と中国語の歌詞が歌いつながる。もう反対する人はいない、乾杯の声が高まり、拍手、拍手、二番、三番へと歌いつがれていった。

 中国のひとが人まえで歌わないのは、むかしのはなし。
 80年代の改革開放で、“ハエ”と一緒に入って来たテレサテンのうたが中国の人の心を捉え、カラオケのヒットチャートとあいなった。
胡耀邦時代には長老たちの要請で“中国製”のカラオケソングも大分つくられたという。いまは題名も忘れたが、70年末のベトナム懲罰戦争で中国軍が苦戦していたそのとき、傷病兵を痛む“銃後”の恋人の心情を綴った歌がカラオケになり、ずいぶんと巷で歌い継がれた。ミシン部品訪中団が湖南省を訪れたとき、長沙市の宴席でもこの歌が披露され、大いに盛り上がったことがある。
 ところが、である。
 おなじころ、杭州での宴席ではテレサテンがもてはやされ、わたしも一曲♪月亮代表我的心♪を歌わされる羽目になった。“あなたをどれほど愛しているのか・・・本気で愛しているのよ・・・やさしい月の光のように”、まことに、甘ったるい歌で、歌っているほうが恥ずかしい限りであったが、宴席の中国の人からやんやヤンヤの大喝采とあいなった。

いまのカラオケは個室が主流で目的外使用もうわさにのぼるが、まだ90年代のはじめは、さながら歌唱大会のようであった。上海でわたしがその設立をお手伝いした日本料亭「河久」の併設カラオケ「雲雀」は最新のレザーディスク数千曲が評判を呼び、本命の日本料理を凌ぐ勢い、数十名は入る会場は夕刻から満席で、なかなか順番が廻ってこない、日本からの旅行者はあきらめ気味で酒盃を重ねあう。大きなスクリーンを背にステージに上がった一番手が歌いおわると、二番手も同じ歌を選曲している。まるで歌合戦、優劣を競い合っているかのようであった。
 これはまぁいいと、しようか・・・、
 わたしが吉 幾三の「酒よ」を歌って機嫌よくステージを降りようとしとき、ひとりの中国人がわたしにここはこのように歌ったほうがいい、小節(こぶし)をこう効かせてねと実演指導をしてくれた。日本ならこれはケンカになるところだが、本人は大真面目、後で名刺を見ると日本旅行専門のガイドのようで、吉 幾三の公演にも何回も足を運んだとか・・・いまはむかし、九十年はじめの中国カラオケ事始めのころのおはなし、である。

 先日コーラス仲間(先輩)とはじめて喫茶店で駄弁った。
 わたしが小学校を出ていないと自己紹介すると、その「意味」に気づいたひとりは、そうするとオレは小学校には入学したが卒業は国民学校だったなぁとつづける。そうか、卒業は小学校だったから、あんたより二つ若いか、ともうひとりが・・・。いずれもが傘寿前後の、後期高齢者、先輩諸公からいろいろと話が出る。
 11月の宝塚市の文化祭では、各サークルが出演することになっていると。
もうわたしは出演するものとばかりに、白いシャツに黒ズボン、蝶ネクタイがなければ予備はありますよ・・・。女性は構成上少し調整もあるようだが、男子は全員出演。いま練習中の、♪お江戸日本橋♪ほか二曲と話は続く。これはもう逃れられない。

 例会の最後はいつも全員が手をつなぎ、歌を歌いながらお別れのダンス。
 ♪①いつまでも 絶えることなく 友だちでいよう・・・、③信じあう よろこびを 大切にしよう 今日の日は さようなら また会う日まで・・・♪
          (金子 昭一 作詞・作曲「今日の日はさようなら」)

 わたしの初訪中から、半世紀がたった。
 ひと と ひと、まち と まち、くに と くに、
 あのとき歌った歌を、いま一度うたおう
♪アジアの兄弟よ はらからよ アジアに光をかかげよう・・・♪

(2014年8月11日 記)

日本民家集落博物館

2014-09-01 14:56:25 | 今週の館内

ゴマの実が熟してきました


刀豆の花と実


最初につけた実が20センチほどになりました


成長が早くて、もう7メートルは伸びています


烏が物思いにふけっています(?)


萩の花が咲き始めた


ベルギーからの来館者 
外国からの来館者が増えています


黄花コスモス


コスモス




飛騨白川の民家は修理中


日本民家集落博物館

2014-09-01 12:09:31 | 行 事
9月の行事


◇ 秋の敬老フェアー
  13日(土) 14日(日) 
  15日(月・祝)
  65歳以上の方 入館料半額

  毎月15日は、アクティブシニアの日
  (65才以上の方 入館料半額)

◇ 石臼体験
  7・14・21日の各日曜日
  13時30分~15j30分
  材料費  100円

◇ こま遊び
  6~27日の各土曜日
  13時30分~15時30分

◇ 茶会  
  6日・20日 各土曜日
  1席  300円  30名まで
  北河内の茶室公開


◇ 宮沢賢治の童話がたり
  朗読とチェロの夕べ
  20日(土)17時30分~18時30分