城市(ちょんし)とシティと・・・
JR宝塚線の伊丹駅前に国の指定史跡・有岡城址がある。
ご存知、荒木村重の居城であった。
この城は城郭の周囲を「侍町」と「町家」で取り囲む、日本最古の「惣構え」の城で、この形式はのちに安土城から大阪城へと規模を拡大、日本の都市形成発展の基点となった。
荒木村重がなぜ織田信長に「謀反」したのか、そしてこの有岡城をはじめ、尼崎城、花隈(華熊)城などがなぜ一年有余も抗戦しえたのか、いまでも研究者や物書きのテーマになっているが、いま取り上げたいのはそのことではない。この「惣構え」のことである。
「惣構え」は“まち”を城郭で囲んで、一面住民(町民)の保護を図るものともみられるが、別の角度から見ると「一蓮托生」の運命共同体を強いるものでもあった。
中国の「城郭都市」についてその歴史的経緯は知らないが、いまも“観光資源”として残されている山西省の平遥古城(ユネスコの世界文化遺産)を訪れるとその面影を知ることができる。高い壁で囲まれた「城内」には現在も四千軒以上の住宅が残っており、楼閣や邸宅も見ることができる。“外敵”からこの城が破壊されずに残ったのは、恐らく“内通者”の手引きか、“談合”があってのことであろうが、あの万里の長城ですら実質的には“外敵”の侵攻を防ぐ砦にはなったものの、その城門はいつも内通者により“平和的”に開門されたと耳にする。
そして一九四九年一月北京(当時は北平)は無血開城され(そうだ、江戸も無血開城であった!)、十月一日、新政権・中華人民共和国の成立が天安門の楼閣上から高らかに宣言されたのであった。
上海万博開幕のとき、わたしは次のようなことを書き綴っていた(『徒然中国』其之二十七「開幕で金」)。
そのスローガンについてである。
はじめに中国語のスローガン「城市 譲生活更美好」があり、英訳で「ベターシティ ベターライフ」になった。日本語のスローガン「より良い都市 より良い生活」は、英語の直訳である。
シティが中国語で「城市」となり、日本語で「都市」になったいきさつは知らないが、わたしの勝手な思い入れから見れば、「シティ」の言葉から城壁に囲まれた「城市」が思い浮かばない。ましてフランス革命などを戦った民衆が「♪オザールム シトワイヤン♪(市民よ 武器をとれ)」(フランス国歌「ラ・マルセイユ」)と歌う、シトワイヤン=シチズンの姿を思い浮かべることができない。「城市」はやはり権力者を中心に構成される、城壁に囲まれた街邑のイメージが濃いのである。
しかし、経済の発展は「城市」の外観も変えていく。
一部の古城を除いて、中国の「城市」のほとんどの城壁は取り払われ、城門が残されるか、地名として残るのみになった。そしていまは、城外の農民の「戸籍問題」が解決されるべき課題として残っている。
ところで話は変わるが、日本の経済成長の発展過程をふりかえると、この「城市~国家権力」とたたかった「六十年アンポ」に思い至る。
このときは二年前の「長崎国旗事件」が善処されずに、日中ビジネスはまだ途絶えたままであった。
わたしは会社の企画部門に異動して、仕事も手につかぬまま「アンポ反対」のデモが国会周辺を取り巻くのを熟視していた。
国会で「安保条約」が批准のあと、「反中国」の岸内閣が総辞職して池田内閣が発足した。日本の高度成長のスタートである。「所得倍増政策」は個々人のベースアップを直接的には謳うものではなかったが、わたしは異業種交流で耳にしていた「労働所得分配率」による社員の所得倍増と経営目標を企画立案して実行に移した。政府の目標は十年間での倍増であったが、わたしの会社では五年以内で倍増を達成した。日本の一人当たりGDP(米ドル換算)も十年後には二・四倍になっている。
中国の経済成長のスタートをわたしは九十年の「浦東開発宣言」だとみている。「土地使用権の有償譲渡」を起爆剤に、二年後の小平の「南巡講話」を進軍ラッパにして十年後にはその一人当たりGDP(米ドル換算)は二・八倍になっている。ここからさらに中国の急成長が目立つ。〇五年には五倍、一〇年には十三倍となる。これは九十年からわずか二十年で達成の数字だが、日本では五十年かけて十倍強の達成率となっている。もちろん金額的にはまだ日本の十分の一強の水準だが、この直近五年間の中国経済の成長スピードには留意しておく必要がある。
最近の中国のマンション価格の下落などで中国のバブル崩壊の兆候と囃し立てる向きもあるが、中国のエコノミストは日本の九十年代以降のバブル崩壊の轍を踏まぬよう国内経済の活性化に力を入れている。そのひとつが政府主導の
ベースアップの指標提示である。安い労働力に期待して進出した労働集約型の外資には厳しい措置だが、源泉徴収税率最低基準額の繰り上げもあって、中国の中間所得者数は二・三億人、都市人口の三分の一に達するといわれている(11年8月3日、中国社会科学院都市発展・環境研究所)。これは日本の中間所得者(年間所得三百万~五百万の給与所得者と同類事業所得者)人口の十倍以上になると見られている。また東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員の田中修氏は諸データーを分析のあと「中国経済の現況は、日本の七十年代初期」とも指摘されている(「人民網日本語版」11年11月14日「日本のバブル崩壊、中国の現状とは異なる」)。中国経済の先行きについて「バブル崩壊」などと騒ぎ立てるヒマがあったら、日本の赤字まみれ財政の現状打開策に識者はもっと知恵を出すべきであろう。
わたしは中国のこれからの問題点は、やはり庶民の「親方五星紅旗」~「城市」依存意識の払拭にあるのではないかと思っている。「所得倍増」はいつまでも政府におんぶに抱っこではなく、自分の行動で勝ち取るべきであろう(ダイジョウブさ、ポケットは二つも三つもあるよ、とカゲの声・・・ウ~ン)。
(二〇一一年十二月十三日 記)