くに楽

日々これ好日ならいいのに!!

シャモニー

2011-06-30 00:41:27 | 




モンブランの麓の街シャモニー
天候が悪く、雲の動きが激しい
寒い
部屋はオイルヒーターで快適
時折顔を出すモンブランを見上げながら、街を散策した
2018年には冬季オリンピックが開催されるそうです

今までの海外旅行で、はじめてのダブルベッドだった
室内はカーテンもベッドカバーもソファーも暖色系のかわいい色遣い
雰囲気が暖かい

それにしても気温が低くて、明日は大丈夫かと心配になる

マッターホルン

2011-06-28 02:19:29 | 



ツエルマットの街には、ガソリン車は入れません。
一駅前で車を降り電車で街へ。

到着後すぐ今「マッターホルンがきれいに見えますよ」と知らされて、見上げると「見えた!!」感激でした。

ツエルマットの街は、谷あいのきれいな街。コープとキヨスクというスーパーマーケットがあり、のぞいてみるとサクランボやイチゴなど果物が安い。
他の食品の値段は日本と変わりません。洋ナシのジュースはコクがあっておいしかった。
夕食は中華料理でした。広島の加藤ご夫妻、福山の高橋さん・そして大阪の廣岡さんご夫妻と一緒でした。

翌早朝5時前から、朝焼けのマッターホルンを見に旅人が集まる橋の上に行き、朝焼けを待ちました。
少し雲がかかっているけれど、どうにか雄姿はみえ、日の出とともに朝焼けを見ることができました。

朝食後、地下ケーブルカーでスネガー展望台まで(3分)
展望台からライ湖までくだり、ライ湖に映るマッターホルンの雄姿を撮影し、エーデルワイスハイキング。

ツエルマットに在住の日本人ガイドさんに花々の説明やマッターホルンの話や街の話をお聞きしながら下山。
途中の旅行者用の村はまだ人がおりません。
あちらこちらで鳴き声だけを聞いていたマーモットも顔を出し、なんだか私たちを見物している様子。
後で知りましたがニンジンが好物のようで、次回来るときはニンジンをやるぞ・・・とひそかに思っています。

所々にベンチが置かれていて希望者が寄付すればその場所に設置してくれるようです。ベンチには名前が入っておりました。

アルプスの花々はいっぱい咲いているのですが、残念ガイドさんの説明と写真が後になると分からなくなりました。広島の加藤さん教えてください。日本でも見かける花もありましたが。

この日はおにぎり弁当を各人手渡されていたのですが、昼食には遅くなりましたが、ホテルに帰ってからロビーでおにぎりを懐かしく味わいました。おいしかった。
ツエルマットからみあげるマッターホルンは、姿のきれいな山でした。

サースフェー (スイス最高峰のドム山)

2011-06-22 00:45:52 | 



サースフェー 標高1798 m

スイスでは有名なアルペン・リゾート地

村のすぐ背後に氷河が迫り、ミシャベル山群のドム4545 mをはじめと
する 4500 m 近くの山々がその後ろからそびえています

町中は一般の車は入れず、電気自動車が行き交っていますが
人通りは少なく落ちついた村です

その小さな街中に1732年当時のサースフェーの民家の内部を展示して
いる博物館があり、見学してきました

3階建の小さな木造の建物
管理人さんは男性で、言葉は通じません
フランス語でもなく、ドイツ語かな?

入館料 500円くらいでした

ベルン旧市街・レマン湖

2011-06-19 15:10:39 | 



スイスの首都で世界遺産登録された人口14万人の街
国内4番目に大きな街

石畳の続く旧市街の小さな町は、どこを歩いても美しい

街の中央に時計塔が時を告げ、ミュンスター教会や1902年建築の連邦議会議事堂
アーレ川を望む高台にはバラ公園とベルンのシンボルの熊が飼育されている

熊はベルン市の元になったとのこと
(国王が狩りに行き最初にとらえた獲物の名前を付けたとか)


ベルン
 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3


ベルンからサースフェーに移動中
レマン湖へ
しばしレマン湖のほとりのレストランで休憩
イチゴがおいしかった!!

ユングフラウヨッホ・アイガー・メンヒ

2011-06-17 00:48:23 | 






ユングフラウヨッホ 4158m 
アイガー  3970m
メンヒ   4099m

快晴の好天気
ホテルの朝食の窓からユングフラウヨッホの白銀の山が見えていた

ケーブルカーと列車でミューレンまで
スイスは鉄道王国と実感する
乗り心地のいい電車で登山の準備も万全の人たちと
緑の村々やアルプスを眺めながら
天気に感謝する

ケーブルカーを降りると「花の谷ハイキング」
ユングフラウヨッホ・アイガー・メンヒを正面から見ながら
花々は短い季節にあわせて一斉に花開き結実している
5キロばかりアルプス連山を眺めながら登山
帰路は登山電車に乗る

シュタウブバッハの大滝を見て
ツアーと別れ希望者8名でラウターブルネン駅から登山列車に乗り
ユングフラウヨッホ展望台を目指しました
途中の駅で下車した人たちはハイキングに歩きはじめます

アルプスの雄大な雪山、雪原、氷河そして緑の平原を見ながら
アイガーグレッシャー駅まで
ここでアイガー・トレイルに乗り換えて展望台へ

この登山鉄道は、アイガー岸壁の中を走ります
所々に展望窓が作られていて5分間ほどアイガー岸壁の中から
周りを見下ろすことができます
車内では英語やフランス語・ドイツ語・日本語・韓国語などの説明があり
なぜか日本語の説明は女性で甲高いハイジの声
他の国の説明は、それぞれ男性の声でしたが、スイスではどうも
日本人はアルプスの少女ハイジのイメージが強いみたい

緑の平原でも、雪原でもハイキングの人たちが歩いています

ユングフラウ駅から展望台
空の青と白い雪、太陽にまぶしく照り映えて大感動
4000m近くに登ってきた実感はありません
走らないようにと以前来たことのある高橋さんからの注意で
用心しながら天空を楽しみました

展望台でお茶を飲んだり
ビールを飲んだり 世界で一番高い郵便局から手紙を書いたり

帰路もアイガートレイルにのり、アイガー・グレッシャー駅で乗り換え
ラウターブルネン駅まで
そこでインターラーケン・オスト駅までかえり
インターラーケンでもう1泊

綿密に計画を練っていただいた廣岡さんのおかげで
8人は無事に雄大なアイガー・メンヒ・ユングフラウヨッホを
堪能することができました  感謝!!  

徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之四拾

2011-06-14 00:04:06 | はらだおさむ氏コーナー
               
「知日」ということ

 「3・11」のとき、たまたま出張で東京に来ていた上海の青年の手記を読んだ(孫 震『東京での地震体験に想う』「華鐘通信 195/196号」)。

 「・・・災害の後の東京の街では、周章狼狽したり、慌てて混乱し、駆け回るような人々は見られず・・・人々が臨時に夜を過ごした場所には果物の皮、紙くず、タバコの吸殻、カップ麺の容器などのゴミが地面を覆っているような光景も見られず、道を行く人々にも沸き立つような声は無く・・・」
 そして、想うのである。
 「私は、想像を超える大災害と、想像を超える日本人の沈着冷静さに感動し、また、日本人の災難に立ち向かう態度に、民族の強さを見ました。率直に言うと、沈着で淡々と振舞う日本の人々を見て、うらやましいと思う一方で、自分に拭い去れない恥ずかしさも感じました。日本の人々を目の当たりにして、我々の学ぶべきことが何と多いことか!これは教育の積み重ねの結果であり、GDPの総量と引き換えにできるものではありません」

 95年1月17日の「阪神・淡路大震災」のあのとき、我が家は倒壊こそ免れたが、その後「全壊」と認定され、その日から1キロほど離れた小学校の体育館での「被災者」生活がはじまった。今回の「三重苦」(大地震・大津波・原発事故)の被災と異なり、そのときは地元の自治体も即日機能回復に向けて動き出し、日赤の見舞金を受けたのは10日目くらいであったか。
 二週間後にわたしたち家族は大阪府下の、木造四軒長屋の公営住宅(解体寸前)に移転、受け入れ先の自治体や住民の方々のお世話になり、酒屋さんから“避難民”と声をかけられ、販促用の品々も貰った。
 5月上旬であったか、上海の視察団一行を神戸の激震地に案内したとき、阪神間の交通機関が寸断されていたため、大阪港から船で神戸に向かった。JR三宮駅前のそごう百貨店の解体工事がはじまっていて、マスクをしていても息詰まる。元町駅から須磨までJRで行き、最激震地の長田方面へ向かって歩き出した。視察団一行はカメラを向けながら、言葉が出ない(かれらの帰国後、上海の高層建築物の耐震基準が引き上げられたという)。
 
 「阪神・淡路」から数年後の秋、関西日中関係学会が当番で学会の全国総会を震災から立ち直った神戸で開催したことがある。このときは竹内実先生(当時関西学会の会長)の発案で、NHKドラマ「大地の子」で陸一心の学生時代の恋人役・趙丹青を演じた盖麗麗さんを北京からお招きした(父親役の陸徳志を演じた「人間国宝」の朱旭さんはこのときは都合がつかず、翌年の来日となった)。そのレセプションで来日招聘を担当したYさん(在北京の日本人)と昵懇になり、そのあと彼のアレンジで北京で盖麗麗さんと再会、会食したことがある。中国映画界のはなしからなぜか化粧品に話題が飛んで、訪日時の神戸でのショッピングでは、毛丹青さんの奥さんにいろいろお世話になった、よろしくとあいなった。
 毛丹青さんとは関西学会や京都の現代中国研究会などの会合で面識があった。
 特に訪日ビザ申請などの手続きをした中国の作家・莫言さん(映画「至福のとき」、「白いブランコ」などの原作者)の、京都での講演会や交流会では毛さんが通訳やアレンジで大奮闘。
 この数年お目にかかる機会が無かったが、先日「日経」夕刊連載の「人間発見」(5月23日~27日)でその近況を知った。「作家・神戸国際大学教授」との肩書。『虫の目で見たニッポン』(文春文庫)は彼の日本での処女作だが、その瑞々しい筆致と視点はいまも読者をひきつけている。そして、この連載の最終回では「知日への扉を開く」として、「若い日本人の中国紹介のサポート」や「80后」への期待が綴られている。彼が創刊に関わった中国で発刊の雑誌『知日』などについて、こう語っている。
 「『知日』の編集長の蘇静君も、人気作家の郭敏明君も80後です。アニメでもロボットでもライトノベルでもいい。彼らは日本を知ることで、より豊かになることができるんです。ただ彼らの情報はネットで得たものばかりです。それを僕がサポートする。・・・中国は経済大国になり、ようやく精神的に余裕を持つようになってきました。なぜ日本の街はきれいなのだろう。どうして日本は古い伝統を残しつつ、新しいものも生み出すのだろう。中国は日本を知らなければならない時代に入りつつあるのです」

 たしか、小泉首相の「靖国参拝」問題で日中関係がギクシャクしているときであった。わたしは「江南のたび」のあと、寧波のホテルで夕食後足マッサージをしていたとき、彼女は一瞬振り向いて背後のテレビを見つめ、ふたたびわたしの足マッサージを続けた。「靖国参拝」のニュースであった。彼女は「小泉(シャオチュアン)」と耳にして、振り返り、その画面を見つめたのであった。
 わたしと彼女の、一問一答がはじまったのはそれからである。
 出身は江蘇省の北(「江北」)の、山東省に近い寒村。この仕事を始めて数年、オカネが貯まったらこの前テレビで見た「北海道」へ行きたい、という。ふるさとは、寒いばかりで雪が積もらない。あの雪景色の日本へ行きたいが、どのくらいかかるかなぁ?
 この雪景色のテレビ画面は、多分、毛さんが中国の若いテレビ関係者を引率して撮影したものであろう(本人には確認していないが)。

 毛丹青さんはすでに在日二十余年、日本人以上に日本と日本人を知っている。
 雑誌『知日』は、中国のこれからを背負う「80后」世代への「知日」指南書になることだろう。かれが数年前に手がけたテレビによる日本紹介は、その後の旅行ブームをうみだすきっかけとなった。それは若いテレビ関係者の感性が捉えた「日本」であって、旅行社のPRする「日本」ではない。

 冒頭のレポートは、「3・11」直後の体験記である。
この青年の知らないことだが、関東大震災(一九二三年)では戒厳令下で朝鮮人などの虐殺事件があった。地下道でやむなく一夜を過ごした大勢の人たちの脳裏にも浮かばなかったことであろうが、このことは日本の歴史の汚点である。
 そしていま、政治の世界では、選良?たちの駆け引きが続いている。
 それも、これも「日本」である。残念ではあるが・・・。
                        (2011年6月12日 記)

アルプスの少女『ハイジ村』

2011-06-12 15:36:17 | 



ドイツからのバスでの越境は、EU圏とスイスとの協定でいとも簡単に越境できます
少し前までは大変だったとか
今は国境の事務所に係員がいたりいなかったり、
フリーパスに近い

スイスのマイエンフェルトに「ハイジ村」はあります
昔読んだ小説の舞台とはいえ、のどかな静かなかわいい村です
はるかかなたに見える山波が、ハイジの物語に出てくる山でしょうか?

快晴で、空気もきれい
のんびりとハイジの山小屋まで散策を兼ねた登山でした

今夜はインターラーケンに泊り
部屋は暖かく風呂も浴槽付き
ほっと一息

ノイシュバインシュタイン城(新白鳥城)

2011-06-11 23:19:10 | 



バイエルン国王ルートヴィヒ2世の建設した中世風の白亜の城
いまだ未完成
   
父王の城はホーエン・シュヴァンガウ城(白鳥城)

ノイシュバインシュタイン城(新白鳥城)
父王の城に真似て作ったといわれている

ルートリッヒ2世は190cmを超す長身で、誰もが憧れる美男子
婚約はするが結婚はせず生涯独身
中世貴族を夢見てこの城を築き
ワグナーを贔屓にしパトロンとなり
40歳過ぎに湖にて不慮の死を遂げる

世界遺産ヴィース教会~フュッセン

2011-06-09 00:00:01 | 



小さな村の村人が教会からもらって帰った
「鞭打たれるキリスト像」
村人は小さな教会を建て朝夕祈りをささげていたそうな

ある日このキリスト像は涙を流していた
それを聞きつけた近在の人々が、このキリスト像に願い事をするため集まりだし、この小さな村は有名になってしまった
元の持ち主の教会側がフランスの建築家にロココ調の教会を建てさせ、この像を安置したそうな
そして世界遺産に登録された
今では、世界各地から観光客が集まっています

今夜はフュッセン泊り
この宿のオーナーは阪神大震災で孤児になった子供たちをドイツへ招待してくれた方
日本人びいきです

食事には、カレーライスと卵かけごはんがサービスされました

フロはシャワーのみ
湯船はない
使い勝手悪~い

(ここで売られているタンポポのはちみつは絶品です)

山の中の村は、どの家も花に囲まれてとてもきれい
空気は本当にきれいです

そとは夜9時が来ても明るい  白夜だ



ドイツ・ミューヘンの街角

2011-06-07 01:49:26 | 
帰国しました。

日本は梅雨入り、菅政権の動きもあやしい!!






5月末から6月はじめ、アルプスを訪れる旅に出た
初めてのスイス・ドイツ・フランスの旅
トルコ航空で22時過ぎの夜間フライト、食事はでないと思っていたら
1時間もしないうちに冷たい飲み物、ワインを飲み食事を食べたら寝るだけ。
4時過ぎには懐かしのトルコ、
乗り換えてドイツ・ミューヘンへ。
ミューヘンはきれいな街だ。
時差は夏時間採用でー7時間。