ビエンホアに通じる工業地区をバスで通り抜け、港湾を横目でにらみながら、税関近くの岸壁に乗り捨てられたまま赤さびている乗用車の墓地に、サイゴン陥落時の混乱と脱出して行った人たちの行く末に思いを馳せていた私たちは、ホーチミン市最後の夜を水上レストランで食事後、ベトナムツーリズムのアレンジしたナイトクラブ<レックス>でのショウ参観のため足を運んだ。
解放前のサイゴンを知らない私にとって、ベトナムの夜とレジャーはこれが最初のものであったが、豪華なこのナイトクラブも今はベトナムツーリズムによって運営されているものとみえて、観客はわたしたち一行とルーマニアの観光グループの30数名のみの、文字通りの特別ショウ。歌と踊りと手品のアトラクションを演じる彼らは解放後ベトナムツーリズムによって組織・編成されたものとかで、元プロからアマを含んだ混成メンバーであったが、ショウの半ばでわれわれのために日本語で<ブルーライトヨコハマ>が歌われたとき、一瞬、驚きと喜びの交錯した不思議な感情におそわれながら、そこに我々を含めた観光客の受け入れを認めているベトナム当局の、したたかな、言葉を変えていうならば開き直りの精神を感じ、ジャングルの奥に潜みアメリカの兵器を使って祖国を解放したベトナム民族の粘り強い闘争心と根性を垣間見る思いがした。
ルーマニアのグループにも彼らの言葉でサービスしながらやんやの喝采を浴びて退場した男女の歌手の、解放前後の生活に思いを馳せていたわたしは、次の男性バリトン歌手の<グッバイ、マイダーリン、シーユーアゲイン・アトサイゴン>という内容の、解放戦争時代ベトナムの各地で歌われていたであろう暗い調べをベースにしながら、叙情豊に歌い上げられてゆくメロディに感動を抑えることが出来なかった。
30年に及ぶ戦争は終わった。
しかし、それはなんという過酷な生活をベトナム人民に強い続けてきたことであろうか。
肉親が別れ離れになり、傷つけられ、殺されたこの30年。
戦争が終わり、平和が蘇えって、まだ二年しか経たない。
ハノイで訪れた商業会議所の幹部が語っていたように、当面の経済建設は困難を極めているし障害も多いが、必ずこの第二次五カ年計画を達成して社会主義経済建設の基礎固めをしたいとする彼らの言葉を信じることからしか、この国との経済交流をはじめるほかはないだろう。
他と比較し、ウイークポイントを挙げていけばきりがない。
農業合作社と併存する自留地。
国営マーケット周辺の個人商店。
官僚主義とセクショナリズム。
経営管理能力の欠如。
白紙に近い技術力の蓄積。
言葉を拾い出せばさまざまな表現によるベトナム経済の弱体ぶりを指摘することも可能だろうが、この戦いを勝ち抜いてきたしぶとさと強固な指導部の存在こそ他の何物にも代えがたい財産であろうし、アメリカをはじめフランスや日本など、この戦争になんらかのかたちで加担してきた国々は、平和が実現し経済建設の苦しみのなかでたたかっているベトナム人民を支援していく義務と責任がある。
ベトナムとの貿易の原点はまさにここにありというのが、この夜の最終的感想といえる。
解放前のサイゴンを知らない私にとって、ベトナムの夜とレジャーはこれが最初のものであったが、豪華なこのナイトクラブも今はベトナムツーリズムによって運営されているものとみえて、観客はわたしたち一行とルーマニアの観光グループの30数名のみの、文字通りの特別ショウ。歌と踊りと手品のアトラクションを演じる彼らは解放後ベトナムツーリズムによって組織・編成されたものとかで、元プロからアマを含んだ混成メンバーであったが、ショウの半ばでわれわれのために日本語で<ブルーライトヨコハマ>が歌われたとき、一瞬、驚きと喜びの交錯した不思議な感情におそわれながら、そこに我々を含めた観光客の受け入れを認めているベトナム当局の、したたかな、言葉を変えていうならば開き直りの精神を感じ、ジャングルの奥に潜みアメリカの兵器を使って祖国を解放したベトナム民族の粘り強い闘争心と根性を垣間見る思いがした。
ルーマニアのグループにも彼らの言葉でサービスしながらやんやの喝采を浴びて退場した男女の歌手の、解放前後の生活に思いを馳せていたわたしは、次の男性バリトン歌手の<グッバイ、マイダーリン、シーユーアゲイン・アトサイゴン>という内容の、解放戦争時代ベトナムの各地で歌われていたであろう暗い調べをベースにしながら、叙情豊に歌い上げられてゆくメロディに感動を抑えることが出来なかった。
30年に及ぶ戦争は終わった。
しかし、それはなんという過酷な生活をベトナム人民に強い続けてきたことであろうか。
肉親が別れ離れになり、傷つけられ、殺されたこの30年。
戦争が終わり、平和が蘇えって、まだ二年しか経たない。
ハノイで訪れた商業会議所の幹部が語っていたように、当面の経済建設は困難を極めているし障害も多いが、必ずこの第二次五カ年計画を達成して社会主義経済建設の基礎固めをしたいとする彼らの言葉を信じることからしか、この国との経済交流をはじめるほかはないだろう。
他と比較し、ウイークポイントを挙げていけばきりがない。
農業合作社と併存する自留地。
国営マーケット周辺の個人商店。
官僚主義とセクショナリズム。
経営管理能力の欠如。
白紙に近い技術力の蓄積。
言葉を拾い出せばさまざまな表現によるベトナム経済の弱体ぶりを指摘することも可能だろうが、この戦いを勝ち抜いてきたしぶとさと強固な指導部の存在こそ他の何物にも代えがたい財産であろうし、アメリカをはじめフランスや日本など、この戦争になんらかのかたちで加担してきた国々は、平和が実現し経済建設の苦しみのなかでたたかっているベトナム人民を支援していく義務と責任がある。
ベトナムとの貿易の原点はまさにここにありというのが、この夜の最終的感想といえる。