今年も弘前・金木の津軽三味線全国大会に出場するために、GWに津軽遠征をしてきました。
ここ数年師匠とは別の単独行動をしていましたが、今年は師匠の兄弟子のYさんと二人で行くことになりました。
宿泊のホテルは、去年うっかりの大失敗をして弘前近郊ではゲットできなかったので、今年は万全を期して東横インの会員になって、しっかりと6ヶ月前に弘前駅前のホテルを予約しておきました。
5月2日
できれば陽のある間に弘前まで行きたかったので、小松から来られるYさんの到着を待って午前6時に氷見の自宅を出発します。
欠陥車レガシィですが、高速道路の巡航では気にならず快適なので、今回も頑張ってもらうことにしました。
高速道路1000円均一のときは、遠回りして磐越道~東北道を走ったこともありましたが、交通量も多いし単調でかえって疲れるので、今回も日本海側をひたすら北上するルートです。
北陸道~日本海東北道の終点まで高速道路で一気に走ります。
このあとは国道7号を北上しますが、この1年の間に温海~鶴岡の間の高速道路が開通していて、若干の時間短縮になりました。そのまま酒田まで高速道路で抜けることができます。
秋田県内もほぼ8割ほど高速道路で抜けることができますので、8年前にはじめて津軽遠征をしたときに比べると大変楽になりました。
ただ高速道路が延びた分、市街地を通ることが少なくなり、食事をする場所の心配をしなくてはならなくなりました。
北陸道はそこそこSAも充実していますが、日本海東北道や秋田道は食事ができるようなSAがなくて、結局はR7沿線に点在する道の駅などに車が集中します。
道の駅は混んでいる上に大した食事もできないのでパス、以前から何度か利用したことのある象潟のガストに入りました。
順調に走り続けること11時間、無事午後5時過ぎに弘前駅前の東横インに到着。
近くの居酒屋で旅の疲れを癒して早めに就寝しました。
5月3日
弘前大会シニアの部に出場するため、会場の弘前市民会館へ向かいます。
弘前大会はこれが5回目です。
同行のYさんは、青森大会に出場するため、私より先にJRで青森へ向かわれました。
去年から弘前大会と青森大会の開催日が同じになって転戦ができなくなってしまい、完全に出場者が割れてしまっています。何とかならないものなのでしょうか。
素人考えでも、後発の大会が日程をずらすのが当たり前のような気もしますが、どうなのでしょうか。
ナビの言うままに走ると桜まつりの大渋滞に会うので、去年開拓したエスケープルートですんなりと会場へ到着。
弘前城の桜はほぼ散ってしまっていて、葉桜になっているところもあります。
お濠は桜の花びらで覆われてピンクの絨毯になっていますが、花はもう2~3日持って欲しかったところです。
会場に入ってほぼいつもの場所に陣取ります。だいたいみなさん毎年同じような所に陣取ってますので、挨拶をしたりしながら三味線を取りだしウォーミングアップをします。
歳のせいか、大切な左手人差し指の爪が裂けたようにボロボロになってくるので、たびたび瞬間接着剤で補強しながらのウォームアップです。
調子に乗って長い時間弾いていると左手薬指もがさがさになって妙に引っかかるので、こちらもヤスリで整形して瞬間接着剤で補強します。これも歳のせいでしょうか。
シニアの部は午前に半分、お昼休みをはさんで午後に半分と分かれています。
私は午後の部だったので、待ち時間の長いこと長いこと。多分これで集中が切れたのかもしれません。
順番が来て、演奏を始めてすぐに三味線の下にシャツの裾が挟まっていることに気がつきました。超初歩的なうっかりミスです。
三味線はシャツの裾と一緒にだんだん滑って外側に滑っていきます。だけどここで演奏をやめたらそれで終わり、何度か三味線を引き上げて体制を立て直しつつ演奏を続けましたが、その都度ツボもテンポも微妙に狂ってしまいます。
そのうち神経がそっちへ行ってしまっているもので、フレーズもあやふやになって適当に作曲したりして、過去最悪のボロボロの演奏で2分半が終了しました。
あまりにも自分が情けなくて情けなくて・・・・。ガックリ来て無理矢理遅めの昼食を詰め込んでいたら、胃が痛くなってくるし、最悪の状態で午後の部の観戦を続けました。
シニアの発表は例年よりかなり遅かったのですが、何とか48人中6位に入賞。
あんなボロボロの演奏で入賞なんて申し訳ないような気持ちです。
でも、かえってこれで来年はリベンジで頑張ろうという気持ちになりました。
5月4日
表彰式があるので、再び朝から弘前市民会館へ向かいます。
一日中皆さんの演奏をじっくりと聞いて、勉強です。
Yさんは、金木の熟年の部に出場するために、私の車に乗ってそのまま金木へ向かわれました。
団体戦、唄づけ、A級女性、A級男性と素晴らしい演奏を聞いて勉強します。
皆さん津軽じょんから節の速い演奏で素晴らしいのですが、今回チャンピオン三連覇の柴田雅人さんの津軽小原節、準チャンピオンの葛西頼之さんの津軽三下りは超別格で感激しました。
今回のステージには「絆」の文字が。
弘前市民会館は全面改装になり、来年は違う会場で行われるそうです。
Yさんが車に乗っていったので、帰りは市民会館から弘前駅前までぶらぶら歩いて帰りました。
早速先日入れ換えたスマホの地図が大活躍、自分の居場所もわかって便利なものですねぇ。
ちょっと洒落た時計店、以前何かの番組で見た記憶があります。
これまたレトロな感じの教会です。
5月5日
金木の一般B級戦です。
弘前のシニアは45歳以上ですが、金木の熟年は60歳以上なので、私は一般の部に出場します。
A級は超エキスパートクラスのトーナメント戦、B級は他の大会のA級と同じようなカテゴリーです。
金木は今回で8回目、勝手知ったる道を金木公民館へ向かいます。
1時間前なのに既に沢山の人たちが陣取っています。
しっかり集中したかったので、知ってる顔が見えないところに陣取ってウォーミングアップ開始。
弘前での失敗を踏まえて、初心に返ってしっかり集中します。
50人のエントリー中、ほとんどの人が津軽じょんから節を弾く中、天の邪鬼の私はここ数年金木では津軽よされ節を弾き続けています。
そうそう、津軽訛りの入った調子変わりの津軽よされ節なんですよ。
結果は、まさかまさかの10位で特別賞をいただきました。
速い細かい津軽じょんから節が全盛の中で、ちょっと大人の津軽三味線を弾いて、若いモンに一矢報いたかなと思います。
何も「津軽三味線早弾き絶倫テクニック大会」ではないので、私のようなこういうスタイルの三味線が通用すると言うことを示せただけでも満足です。
自分的には弘前の6位よりも、金木B級の10位の方が数倍価値があって嬉しかったです。
大條先生の講評中。
毎回のように、何の曲を弾いているか解らない曲弾きはダメだ、と力説されていました・・・んだんだ。
B級の表彰式の後、A級トーナメント戦を観戦します。
こちらのトーナメント戦は、各回戦で課題曲が違って、毎回津軽じょんから節以外の五大民謡の曲弾きが聞けるので、大変参考になります。
仁太坊賞は渋谷幸平さんが受賞されました。
チャンピオン決定の後、速攻で帰路に着きます。
例年通り、五所川原のエルムシティでお土産をぱっぱっと買ってから、弘前でYさんをピックアップ。
夜通し走り続けること12時間で、無事午前5時に自宅へ帰還しました。
今回入賞することができなかったら、来年は1年間休養・充電することにしようかと思っていたのですが、弘前での苦い失敗のリベンジもあるので、また来年も頑張ろうと考えています。