黄昏が近づくとフクロウは飛び立つ準備を始めます。暗闇で木に激突。最近は夜目、遠目が効かなくなって来ました。
黄昏れたフクロウ
私的生産の技術
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何回も聞かされる相手はたまらないが、まあ、これはこれで仕方が無いかと思っている。自分には何の不都合も無い、たまらないのは相手だけだ。
将棋で三手の読みと言うのがある。こちらがこう指すと、相手はこう来るから、そしたらこう指してやろうというものだ。会話にも三手の読みは必要である。こう言うと、ああ言うだろうから、こう言ってやろう、と常に準備していた。
ところが最近、問題発生。相手がああ言うのを聞いていると、こう言ってやろうと思ってたのを忘れてしまう。ああ、ややこしいから合いの手入れるのやめてくれ。ああ言ったのは、こう言ったからで、、、こう言ったって、なに言ったんだっけ、ああ、、うう、、となってしまう。はたで聞いているとシュールで不条理な世界が出現しているのだと思う。
会話だけなら特に重要な問題にはならない、たいした話はしてないから。それに「ねえ、ちゃんと聞いてるの」に対する完璧な回答を用意することができる。「勿論聞いてるよ。でもね、最近すぐ忘れちゃうんだ」と肩を落とせば、通常それ以上に追求は無い、通常は。
しかし、ちょっとした思い付きをすぐ忘れてしまうのには非常に困る。おっ、これはブログに使えるぜと、にやっと笑った瞬間、きれいさっぱり忘れてしまう。三歩も歩いていないのに。そこで本日のテーマ、私的生産の技術の登場だ。
写真を見ていただこう。昔、猫も尺取虫も持っていた情報カードである。カードさえ持てば知的生活がおくれると勘違いした私も当然持っていた。他の人はすぐやめましたね、梅棹先生の言うほど役には立たないのが分かったからかな。しかし、私は強情にも今もカードを使っている。
カードはコレクトのC-211で、ちょうど名刺サイズである。カードを挟んだまま書き込みの出来る手帳型のカードフォルダを、車屋そば工房に特別注文し、便利に使っている。写真がフォルダを開いたところ。左で書いて、書き終わると右に移す。ボールペンはゼブラのTU-602。
必ず日付を書いて、本から書き写すときは必ず出典を書いておく。これをしないとあとで危なくて使えなくなってしまう。それと必ずカードの片面だけ使うこと。1トピックに1枚カードを使うこと。このふたつは後で整理するとき非常に重要である。整理は名刺ケースにちょうど入るし、ソートもしやすい。
今、これら20年分のカードが山のようにたまっている。でも実際には、昔書いたカードは全く役に立たない。見るのもいやなのである、寒気がして鳥肌が立つ。
「意地をはるより、EASYにいこう」
「知的に生きるとは何かを成し遂げることではなく、ある種の精神状態である」(ハマトン)
なんてカード、若気の至り、恥ずかしいので全部焼却処分とする。
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