Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

帰国後1ヶ月、アメリカ駐在生活を総合的にふり返って~緊張感と闘う日々の7年間

2008-12-01 | アメリカ生活雑感
日本に帰国して、約1ヶ月。まだまだ、日本の生活の立ち上げ途中。やっと今日から自転車に乗り出し、アメリカで車に乗っていたときと同じような感覚におちいる。自転車を7年間マンションの駐輪場に置きっ放しだったので、鍵がおかしくなっていた。よって、今まで、あらゆる場所を歩いて生活していたので、すべてに恐ろしく時間がかかった。歩いていても、まだなんだかフワフワして、足が地についていない感じだ。

かつて何年間も住んでいた場所なのに、さまざまなことが変化していて、まったくの一から出直しで、学校関係でささいなことでも聞かないとわからないのが、くやしいし、物事がスムーズに進まないのもイライラする。生活パターンの慣れたシカゴなら、手と体と頭が勝手に作動し、みんなの世話までできていたのに・・・こちらでは、みんなに聞きっぱなしである。

しかし、シカゴに赴任した当初は、かつてダウンタウンに住んだことがあるとはいえ、郊外の車社会での生活は初めてだったので、右も左もわからなかった。赴任直前に日本で車の免許を取って、車の運転デビューをアーリントンハイツでし、子供たちのために、死にものぐるいで、おっかなびっくりの運転に挑戦した。まずは、バスストップまで、次にシカゴ日本人学校まで、そして、日本クリニックとミツワとじょじょに距離をのばして、慣れた。イリノイ州の免許を取るために、1週間必死で、日本語のテキストを参考にしながら、英語のわかりづらいマニュアルを読んで、筆記試験にのぞみ、主人とけんかをしながら、子供たちを乗せて、ウッドフィールドまで、必死で運転したっけ。

それまで、2回アメリカに住んだ経験上、英語でコミュニケーションをとるのに問題はなかったので、アメリカに住むのに自信はあった。しかし、郊外に住むこと=車の運転という経験は初めてだったので、3度目のアメリカ生活は、極度の緊張感にいつもさいなまれていたような気がする。そのせいなのか、年のせいなのか、わからないが、シカゴの駐在生活が始まり、月日とともに、あっという間に白髪が増え、呆然とした。今、日本に帰ってきて、なんとなく、髪の毛の根元が白くなりにくくなっているのは、緊張感がとれたせいであろうか。

アメリカ生活は、異文化に囲まれて刺激的だ。周りはアメリカ人、韓国人、中国人、イラン人、ラティーノ、さまざまな人種だらけ。いろんなことにも挑戦してみたい。でも子供たちがいるから、なかなかできない。でもって、子供の手が少しでも離れると、ここぞとばかり、1つのことにのめりこむ。「アメリカにいるんだから、今やっておかねば!」という強迫観念。友達が、「イエローストーンに車で行った」と聞くと、「休暇中は、アメリカにいるんだから、あそこもここも旅行に行きたい」とよくばりになる。これまた、「旅行に行かなくてはいけない」という強迫観念。(ただ、うちの場合は、若い頃あちこち旅行に行っていたので、今回の駐在では他の人たちほどまめに旅行には行かなかった)

子供たちの教育も然り。アメリカにいるんだから、英語を取得させなくてはいけないという強迫観念。でも、いつか日本に帰るから、日本語はしっかりさせておかないといけない。せっかくアメリカにいるんだから、ここでしかやれないスポーツもいろいろやらせたい。これまた、強迫観念。

その中で、妥協妥協を重ねながら、自分の精神の中でバランスをとり、やりたいことをこなしながら、ストレスをうまく解消し、家族をハッピーに持ってくるにはなかなか努力がいる。親の助けがないので、周りの日本人の友達と助け合いながら、常に周りに気を使いながら、自分にむちを打ちながら頑張る日本人の駐妻たち。私もそんな1人でした。

日本に帰国して、わからないことへの日々のストレスと生活の立ち上げへのイライラはあるが、正直心底ほっとした。7年間、シカゴで何も大きな事故に遇わずに済んでよかったと。「子供たちに何かあったらどうしよう!」といつもどこででも緊張していた。広いアメリカで、子供たちが誘拐されたら、絶対に会えなくなるから、常に外では目を離さなかった。毎日、メールボックスに入ってくるちらしに尋ね人として2人の子供たちの顔写真がでているのが、毎回顔が変わるので、ぞっとしていた。

日本では、上の息子は、最初からまったく問題なく、1人で動くようになった。下の息子は、学校や近所のコンビにまでは1人で行けるようになった。勿論、日本も物騒なのだが、車で送り迎えをするという私の大きな仕事が1つ終わったという感じだ。子供たちの野球の試合で、車で送り迎えもしなくてはいけないというが、今は運転をしたくない。主人が運転すればと勧めるが、断じて!

7年間続いた毎日のお弁当作りからも解放された。土日の部活のランチは、節約のため、お母さんたちの手作りのお弁当をみんな持ってきているというが、私はお金がかかっても、今は作る気がしない。息子もコンビ二の弁当がうまいと喜んでいる。朝練で早く起きなくてはいけないときも、息子が勝手に起きて、勝手にパンを食べて、出て行くときもある。今までなら、弁当作りがあったから、絶対に私が先に起きて、息子たちを起こしていた。今は、すべての反動で、私はとても怠惰になっている。ごめんよ、みんな。でも、息子はまったく文句は言わず、黙々と我が道を行く。できない母親を持つと、息子はしっかりするもんよ。こう言いながら、下の息子には、あてはまらないかもと思う私。

全身全霊で、子供たちを守りきったシカゴ駐在生活。「あのときああしていれば、よかったのに・・・」と思うことも多々あるが、みんなが無事に何事もなく日本にもどってこれてよかった。そして、現在、多くの駐在員家庭の妻たちが海外で、私たちと同じように、必死で子供たちを守っている。よく「駐妻って優雅だ」と言われるかもしれないが、その華やかなイメージとは裏腹に緊張感にあふれた内面は、大きなギャップがあることをわかってほしいと思う。とにかく、何事もなく、みんな無事にもどられますように!