Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

日本の小学校で、アメリカで感じたやさしさを話す

2008-12-09 | 日本の小学校
今日の午前中は、日本に帰国してすぐの私にとって大きなイベントが待っていた。下の息子が通う公立の小学校で、「この町のやさしさを聞く会」と称して、数人の保護者たちがそれぞれに感じたやさしさを話すという総合学習の授業に参加したからだ。「乳幼児を育てている人」「お年寄りや体の不自由な方のお世話をしている人」「外国の人及び外国に住んだことのある人」の3つのグループに分かれて、ボランティアとして、実際に味わってきた「やさしさのエピソード」を紹介する。

話す対象は、息子の学年である3年生。あまり人前で話す機会がない私は、子供たちのグループに話すという責任のある立場から、かなり緊張してのぞんだ。ああ、話上手なお母さんがうらやましい!

先生たちの紹介の後、まず仕事で介護士をされているというお母さんが、全員の前で、介護士の仕事内容、お年寄りの立場などをゆっくりわかりやすく説明した。子供たちは、みんな目を大きく見開いて、真剣に話を聞いている。みんなを包み込むような説得力のある語り方で、みんな「これからは、お年寄りにやさしくしなければ!」と目が語っている。話の後で、質問も次から次へとでる。「介護をしていて、今までで一番大変だったことは?」という質問には、「各自、みんなやってほしい要求が違うんですね。でも、それをはっきり言ってくれないので、それを理解するのが大変です」とのこのお母さんの答え。

「今まで一番うれしかったことは?」と鋭い質問が出る。「やはり、お年寄りに喜んでもらえたときですね。」とこのお母さんも笑顔で答える。女の子たちは、話し方もしっかりとしていて、「お話を一言ももらすまい」と聞いていたことがうかがえる。息子もこのお母さんの貴重な体験談をしっかり聞いているといいな。

さて、いよいよ私たちの番である。残りの2つのグループは、3人づついるので、3つのグループに分かれて、20人ぐらいのグループの生徒たちに話をする。私のグループは、息子を含む2つの組の生徒たちが一緒になったグループ。イスに座って話してもいいのだが、ついつい力がこもって立ってしまった。

簡単な自己紹介の後、シカゴの位置を地図で確認する。「どこ、どこ!」とみんなどのあたりなのか、しっかりチェック。シカゴの摩天楼も写真で簡単に紹介。「見えない!」という子もいて、みんな興味があるようだ。シカゴの気候、アメリカ人は、知らない人にもにっこり笑って気軽に挨拶をし、困っている人を助けるという一般的なことを少し話す。そして本題。息子たちが、地域のリトルリーグで受けたお父さんコーチたちの優しさについて、簡潔に話した。

アメリカの子供たちの野球、リトルリーグのことを話し、写真でリトルリーグの様子を見せると、身を乗り出して、写真に見入っていた。英語がしゃべれなくても、身振り手振りで、お父さんたちが教えてくれたこと。(実際は、ペラペラ英語をしゃべっていたときが多かったけど・・・)英語が理解できない子供をチームに受け入れてくれた優しさが、息子たちが野球好きになり、アメリカ人の子供たちと友達になれたことなどを話した。

そして、最後に、息子たちが所属していたバッファロー・グローブのリトルリーグに存在したユニークな「バディ・リーグ」のことを話した。身体障害者の子供たちで構成するリーグで、子供たち1人1人がプレーするときに、大人や中学生のプレヤーたちが、介助する。実際に毎年行われるオールスター戦で、車イスに乗って、ピッチャーをする子供たちの試合を見た。その時、観戦している親たち、応援する地域の人たちを見て、健常者たちの試合と何ら変わりない盛り上がりに、いたく感動した。そのことも今日子供たちに伝えた。そうしたら、みんなとてもびっくりしたような顔だった。「身体障害者たちも普通に野球をしている!」「アメリカってそんなにやさしい国なんだあ!」って思ってくれたら、うれしい。

2つのグループに話をしたが、みんな活発に質問をしてくれた。「アメリカで、どんなことが一番大変でしたか?」「日本に帰ってきて、大変だったことは?」矢継ぎ早に質問も出た。みんな手を上げてくれて、全員にさす前に時間がきてしまったほどだった。2つ目のグループでは、私も少し慣れたせいか、かなり親密に話ができた。

この保護者たちの話の後、子供たちは簡単に感想を作文に書くようだ。子供たちが、これを機会に少しでも日本にいる外国人の人たち、あるいは、お年寄りや身体障害者の人たちにやさしくしてあげようと思ってくれたらいいが。今日の午後は、自分の体験談を子供たちに伝えたという充実感に浸って、気持ちがよかった。