Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

日本の中学生は勉強もスポーツも二極化方向へ

2009-02-15 | 日本の中学校
昨日、息子の公立中学の部活動の様子をリポートしたが、今日は日本の中学生の今までの全般的な印象を書いてみようと思う。前からママ友に聞いていた話と、息子の話を聞いていると、勉強面では、公立は完全にかなりできる生徒たちとまったくできない生徒たちとに、二極化が進んでいるようだ。学校からの各教科の成績分布図などを見ても一目瞭然。

息子の話で、生徒たちがあまりにうるさく、授業にならないときもあると聞いていたので、生徒の質がみんな悪いのかと思えば、部活も塾も必死でこなし、とてもまじめで、感じのいい優等生の生徒たちもかなりいる。とくに息子が所属している野球部のメンバーは、学年でもトップの成績を収めている生徒が数人いるほど。野球部は、中学の部活の中でも拘束時間が長く、練習量も多いため、みんなかなりの集中力で、勉強にのぞんでいるのだろう。

先日うちに試験勉強しにきた野球部やサッカー部のメンバーたちの話だと、みんな生活態度もかなり先生に気を使って、優等生を演じているようだ。彼らのような先生への立ち回りのうまい生徒たちと、まったくそんなことをあきらめて、教科の提出物をまったくしないで、授業中も先生におかまいなしにおしゃべりをし続けている生徒たちもいるというから、両者がとても対照的で、不思議だ。

そして、部活を含めた最近の中学生のスポーツ面に関して、とても興味深い記事が朝日新聞に載っていた。文科省が全国の中2を対象に行った「全国体力調査」の結果、中2女子の約3割が、1週間のそう運動時間が60分未満という結果がでた。この記事を書いた生島淳氏によると、「中学校における部活動の衰退も一因として考えられないだろうか」と問題提起している。「学校内での部活動をしっかり指導する時間がなかなか取れないという話を聞く(中略)ところが北京五輪のメダリストを見ると、部活育ちでない選手が増えている。(略)これらの競技に共通するのは、指導者が長期にわたって選手をコーチングしている点だ。中学校の部活の場合、先生の転勤が避けられない以上、10代前半の重要な時期に、指導力の安定性が保証できなくなる。」「大局的にとらえると、日本の中学校の部活動は大きな転換点を迎えている。このままだとクラブや部活の強豪校で活動するエリートと、まったく運動しない層の二極化がすすむのではないか」とまとめている。(2009年2月7日付朝日新聞「読み解く スポーツ 生島淳著」より)

私は、現在の息子たちの公立中学の部活動の様子を見て、勉強と両立できうる、ほどよい拘束時間としっかりとしたメニューをこなしている運動量だと感じる。冬の間のハードなサーキットトレーニングや1日に6~9キロの走りこみのおかげで、息子の下半身がみるみる安定してきているような気がするのだ。息子は、自身の努力で必死でついていったと言うが、自分の体力にかなり自信が持てるようになってきている。

私たちは、シカゴの日本人学校で、部活動がなかったのを知っているため、このような素晴らしい日本の部活動のプログラムに対して、また先生が週末もいらして、つねにそれを監督してくださっているということに、頭が下がる思いである。昨日は、まだ2月の半ば。シカゴだったら、真冬で、室内練習しかできない時期なのに、外で、練習試合ができるというぜいたくさ。日本は、誠にありがたい環境である。

日本の中学生、高校生の二極化は、マスコミでよくとりあげられるスポーツ選手にも象徴されている。たとえば、高校生プロゴルフファーの石川遼君、数年前に甲子園で優勝した早稲田実業の斉藤ゆうき君など、インタビューの受け答えが、堂々として、理路整然として、自分というものを強く持っている。シカゴ日本人学校の中学生たちもつねに前向きでしっかりしている。このような、若者たちが、将来の日本を背負ってたつのだろうか。

これらのエリート層ともいえる若者たちは、やはり親たちの財力や子供たちの教育に対する熱心な姿勢に後押しされて、つくりあげられているという背景もある。成績が底辺の生徒たちというのは、親たちからのサポートも少ないというか、塾などでサポートする財力がないのだろう。まさに、ここ数年の日本がつくりあげた格差社会の結果といえる。そして、それは、小学生にもいえるのであろう。