Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

帰国子女たちの動向~その1

2008-12-16 | 帰国子女動向
今日は、久し振りにかつてのシカゴでの仲間たちに会った。私の都合に合わせてもらったので、2人のママ友だけであったが、私たちよりも前に日本に帰国しているキコクの先輩ママたちなので、貴重な体験談を聞くことができた。


大事な友達、カオリさんとハルミさん 携帯で撮った写真なので、ボケててごめん!

今日会えたのは、上の息子がシカゴ日本人学校全日校の小学6年生のときの仲が良かったクラスメートのお母さんたち、ハルミさんとカオリさん。新宿の紀伊国屋書店で待ち合わせたのだが、駅が大幅に変わっていたので、いったいどこから出たらアルタ方面に行けるかがわからない。やれやれ。紀伊国屋書店のまん前にグッチのお店なんてあったっけ?新宿も様子も少しづつ変わっている。


しかし、紀伊国屋書店、サイコー!ありとあらゆる本がそろっている。今日は野茂選手の特集本を買った



カオリさんは、看護婦のパートの仕事を見つけて、毎日元気に働いている。小、中高校生と3人の女の子の母でもあるので、無理をしないで、基本的には1時までの勤務だという。看護婦としてのキャリアがあったので、シカゴ駐在後のこのご時勢でも、すぐに仕事が見つかって、仕事の勘を取り戻すのにも時間がかからなかったというから、すごい!ハルミさんと私は羨望のまなざしで、カオリさんを見つめる。

ハルミさんは、人を包み込むような優しさと思いやりを持ったお姉さんタイプ。シカゴでも何度助けてもらったことか。すでに成人し、就職した長女、カッコいい大学生の次男、そして、息子と仲良しだった中2生のカンちゃんという男の子を持つベテランママ。駐在経験もアジア、アメリカと豊富。

カオリさんの話では、3姉妹のうち、意外と小学生の末っ子の女の子が日本の学校になじむのに時間がかかったという。小学2年生の10月に帰国してきて、神奈川の2学期制の小学校の新学期から通いだしたのだが、学校に楽しく行けるようになるまで、数ヶ月かかったという。この3女は、現在小学4年生で、今はまったく問題なく楽しく学校に通っているというから、安心した。

対して、息子の同級生であった次女のユキちゃんは、妹さんと同じ公立の小学校6年生に編入。普通に考えると、小学校6年生の10月だと、すでにクラスは出来上がっていて、卒業前で、クラスに溶け込むにもむつかしそうに思える。しかし、ユキちゃんは、みんなから慕われて、あっと言う間に、クラスに溶け込んだ。カオリさんが言うには、ユキちゃんのあまり強く自分を人前にださない性格がみんなに受け入れられたんだという。その時の担任の先生の話では、帰国子女は、日本に帰国してしばらくすると、強く自分の意見などを出してしまうため、クラスから浮いてしまうケースが多いらしい。ユキちゃんが、編入した学校は、神奈川でも帰国子女がわりと多い学校で、先生もキコクの子供たちの受け入れを何度かしていた経験上、その話をしてくれたという。彼女の話を聞いていて、子供たちの世界というのは、親が考えている以上に、繊細なのだということがわかる。

うちの上の息子は、帰国1ヶ月で、本人の多大な努力のおかげで、すんなり公立の中学に溶け込んでいった。しかし、下の息子は、帰国してすぐは、公立の小学校で、楽しそうにしていたが、1ヶ月ぐらいたつ頃、急に「学校に行きたくない!」と言い出した。やっとこのところじょじょに学校に慣れていっている状態だ。口の悪いクラスメートに慣れ、(野菜嫌いの彼の場合は、給食嫌いなのが大きな理由なのだが・・・)理科や社会は、進み具合が違うので、テストではとまどいも大きい。いろんなことを少しづつやりながら、じょじょにじょじょに慣れていくのである。私たち親は、下の息子のように、小学校低、中学年ぐらいの帰国子女の子供たちが、あっという間に日本の学校に慣れるかと思いがちだが、必ずしもそうでない場合が多いのかもしれない。海外の日本人学校全日校にいたからと言って、すぐに日本の学校に溶け込めるとは限らない。私たちが考えている以上に、さまざまな場面で、子供たちが直面するとまどいというのは、大きいのだろう。

ユキちゃんは、バスケット、カンちゃんもバスケットと2人とも部活で活躍しているという。カンちゃんは、部活で忙しい中、週2回塾でも勉強に頑張っているという。運動神経抜群のカンちゃんは、明るい性格で、男の子たちからの信頼も厚いであろう。シカゴ時代の息子の友達が、日本の中学で頑張っている話を聞くと、とてもうれしい!

せまいマンションに運びこまれた船便の片付け方のこつ~恐れるに値しない!~日本での生活の立ち上げその5

2008-12-15 | 日本生活雑感
土曜日にいよいよ船便の2便目、やっかいな52箱がやってきた。家中がダンボール箱で埋まり、呆然とするだろうと思っていたら・・・

船便1便目と違い、主人がいたのが幸いした。私が運ばれてくるダンボール番号のチェックとどの部屋へ行くかの指示をヤマトの人にだしている間、主人は大きなダンボールを片っ端から空け、中身を出して、そのダンボールと包んであった紙をヤマトの人に出した。ヤマトの人が机などの大物家具を出している間、「大きなダンボールから物を出してしまうんだ!」と私にも指示。

主人が言うには、この大きなダンボールは、クッションとしてかなりの量の紙で包まれ、それが場所をとるんだという。それをまず処分すると、ダンボールに覆われたスペースがかなり減る。なるほど。

最後の方で、ヤマトの人が、子供の机についているイスを組み立てるのに、時間がかかる。それをいいことに、大急ぎで、大物ダンボールの中身を次から次へと開き、その大きなダンボール箱をそのまま渡す。20箱ぐらいだしたかもしれない。実は、中身をだすよりも、ダンボールのテープを切って、解体し、中のクッションの紙を平坦に折りたたむ作業に時間が費やされる。これをそのままヤマトに渡してしまえば、片付ける時間が大幅に違ってくる。「ヤマトの人がいる間が勝負!」と時間との闘い。主人の作業の手際のよさに舌を巻く。普通の人の3倍ぐらいのスピードで何でも片付けてしまう。

ヤマトの人が帰った。気がつくと、リビングに残っているダンボールの箱は、数箱ではないか。上の息子の7畳の部屋に本類のダンボールが10箱で、すべてみかん箱の大きさだから、そんなに場所をとっていない。ベランダに大きめのダンボール1箱。下の息子の部屋に2箱ぐらい。あ~ら不思議、52箱あったはずのダンボールが、1日でたった20箱以下に減った。

結論、52箱のダンボールの多くは、梱包で覆われているので、実質3分の2ぐらいか。「52箱どうしよう!」と恐怖におののいていたが、恐れるに値せず!これから、少しづつ整理していけば、収納の少ないせまいマンションでもどうにかなるもの、と腹をくくった。ただ、やはり、多くのガラクタ、及び大物家具をシカゴで処分してきて、本当によかったと思う。

本の虫の上の息子は、昨日400冊が入るしっかりしたいい本棚を買ってもらい、それが来るのを楽しみにしている。フローリングの息子の部屋に、ソファーベッドも買う予定。新しい家具が来ると、少しでも気分が新たにやる気もでてくる。家全体は、シカゴでの半分以下のスペースとなったが、息子たちに一部屋づつ与えたので、息子たちは、自分だけのスペースでリラックスできるようだ。主人が、単身赴任だからできる贅沢なスペース。自分たちの机が入り、教科書やお気に入りの本が並び、息子たちは、心底うれしそうだ。よく2ヶ月机なしの不便な状況で、勉強も頑張ってきたなあ。下の息子は、毎日リビングのテーブルで、こつこつ宿題をしていた。上の息子は、期末テスト勉強は、床の上でやっていたりした。一つづつ、いろんなものがそろうことに喜びも見出す。やっと、すべて自分たちのものが届いたあ!バンザーイ!

フレッツ光を使って、固定電話をつける~日本の生活立ち上げその4

2008-12-12 | 日本生活雑感
昨日は、やっとめでたく固定電話がつながった。すでにつないであるパソコンのブロードバンドサービス、NTTの「フレッツ光」を利用して、パソコンとケーブルでルーターをつないで、電話機をそのルーターとつないだら、あらあら不思議、電話がかけられるようになった。

NTTから、ルーターやケーブルだけ送られてきて、日曜日にNTTが工事にきていたので、自分でつなぐだけでできるとNTTに言われていたのだが、説明書を見ても、よくわからない。すぐに電話で問い合わせたら、何箇所か回されて、やっと方法がわかり、NTTの指示通りにやったら、できた。また、1つやらなくてはいけないことがクリアになったので、ほっとする。

当初、携帯を買って、生活上、固定電話は必要性を感じていなかったのだが、妹夫婦や多くの友達の話を聞くと、みんな「固定電話を持つべきだ」との意見だった。それは、やはり固定電話がないと、一般的には、世間への印象が悪いということらしい。とくに、学校関係の連絡網などで、携帯番号だけだと、学校側、あるいは保護者から生活水準が低いと見られがちだという。実際は、そんなに気にするほどではないような気もする。若い人たちは、携帯だけで過ごしている人も多い。しかし、上の息子の友達のお母さんたちは声をそろえて、「今後受験もあり、(息子たちは)高校に行くわけだし、そうなると、あったほうが印象がいい」との一致した意見であった。

シカゴでは、日本人学校関係の友達は、携帯だけの人も結構いたけど、何も気にしなかった。駐在員という立場がお互いわかっているから、生活水準も同程度なので、携帯だけだろうか、なんだろうが、関係ない。しかし、日本では、さまざまな人がいるので、電話の1つでも気になるのだろうか。主人に相談すると、そういうことは、まったく気にせず、固定電話をつける必要性は感じていないようだ。

というわけで、固定電話は、どういうサービスがお得なのか友達に聞いたら、フレッツの光電話が安くてできるという。NTTに問い合わせると、基本プランが月々525円で、工事費も自分でとりつければ、1050円とお得。昔あった7、8万もした名義代は必要なくなったので、ラッキーな時代になったものだ。インターネットさまさまだ。電話機は、携帯もあるので、1980円の子機も留録機能さえついていない物を購入。ケチってしまったが、話すのに高い値段のと何ら変わらないとお店の人が言うので、これに決定。

携帯を使って話すと割高だから、固定電話をつけて、節約出来るかなとも思う。みんな携帯のメールで話すから、固定電話はあまり使っていないようなことも言っている。でも、私は、近所以外の友達もいるので、やはり電話で話したい。固定電話をつけると、携帯より聞こえもよく、なんだか落ち着く。やはり、私は、昔の人間かしら。

初めての日本の中学での学年保護者会~先生たちの生徒への思いに感動!

2008-12-11 | 日本の中学校
金曜日行われた上の息子が通う公立中学校の授業参観の後の学年保護者会を報告しよう。降りしきる雨の中、体育館で行われた。とてもなつかしいお母さん友達に7年ぶりに会い、再会を喜んだ私。

先生たちの話の生活面では、1学期の終わりに、この学年では、万引き、喫煙、飲酒が出てきて、とくに万引きがかなり多かったので心配したが、このところ沈静化したという。万引きをした生徒の親たちが真剣に子供と向き合い、その協力によって、子供たちも踏みとどまるようになったという。ある親が、お店の人に土下座をしてあやまる姿を見て、その子供も自分が悪かったことを感じたらしい。

そして、この学年で2ケタの数の不登校の生徒たちの問題についてふれられた。その話の最初に、この学校は、2部制だというので、夜間中学もあるのかと思ったら、その意味は、夜、不登校の生徒たちの家を先生たちが訪問し、学校で話し合う時間だという。昼に学校に来ている子供たちに支障がないようにやってきたという。先生たちの努力で、不登校の生徒の数も少しづつ減ってきているとのこと。

なんと大変なことだろう。日々の昼間の指導だけでも苦労されているだろうに。公立の中学の先生たちは、そこまでしてくれているのか!と驚いたと共に、「子供たちを見放さない」「子供たちを何とか救いたい」「非行をみのがさない」という先生たちの確固とした意思を持った態度と日々の行動に頭が下がった。話を聞いていて、テレビのドラマにでてくるような感じで、ジャーナリストとして、先生の一言一言に思わず身をのりだして、聞き入ってしまった。

勿論、多くの生徒たちは、2年生になって成長し、運動部の新人戦での活躍、素晴らしい歌声を聞かせてくれた合唱コンクールの成果、学校を委員長としてしきっている姿を紹介してくれた。息子の話を聞いていても、先生たちは一生懸命指導してくださっているようだ。一部の生徒たちの中学生としてあるまじき行動は、やはり各家庭の責任であるといえよう。どうして、そうなってしまったのか。

先日、シカゴ日本人学校全日校の中学部の先生にメールで連絡したときに、励ましのメールを私たちにくださった。シカゴと日本で生きていく駐在員親子にとって貴重な言葉だったのでここに紹介する。私の「シカゴ日本人学校(全日校)のような理想の学校を日本に存在させるのは、むつかしいのでしょうか」という問いに対する答えでもある。


「シカゴ日本人学校の生徒は、いい保護者に支えられたいい生徒ばかりです。それだけに、いつか日本に帰国したとき、学校生活になじめるのか、心配な面もあります。先週、校内暴力が過去最高だというニュースも聞きました。理由は様々でしょうが、多感な子供達の心が病んでいる、いや大人社会も含めて何かおかしくなっているような気がします。そんな、日本の中学校に編入または、高校へ入学するには、かなりのストレスがあることと思います。ですから、日本人学校にいるうちから少しでもたくましさを身につけてほしいと考えています。

正直、シカゴ日本人学校のような理想の学校を日本で存在させるのは、むつかしいと、私は思います。理由としては、保護者や生徒の特殊性があると思います。こんなに保護者が教育熱心で協力的な学校はあまりないと思います。また、こんなに意欲的に学習し、行事にも熱心に取り組む生徒たちも稀だと思います。こんな学校に勤務できることの幸せを改めて感じました。

ところで、Bくんは野球部に入部したんですね。アメリカと日本の部活動はたくさん違うところがあると思いますが、学習と両立させるよう頑張ってください。そして、学習では身につけることができない、仲間との友情や絆を大切にしてください。そして、アメリカと日本の良さを生かしてスケールの大きな人になって欲しいと思います。」


恩師からのサイコーの励ましの言葉であった。日本とシカゴにいる両方の生徒たちを熟知しておられる先生でなければ、実感できない言葉である。日本人学校の先生たちもいずれ日本にもどられたときに、そのギャップを改めて味わうことになるのだろう。シカゴでお世話になった先生たち、息子は先生たちの教えを胸に、こちらで精一杯頑張っています!日本で、いい先生たちに恵まれています。






日本の小学校で、アメリカで感じたやさしさを話す

2008-12-09 | 日本の小学校
今日の午前中は、日本に帰国してすぐの私にとって大きなイベントが待っていた。下の息子が通う公立の小学校で、「この町のやさしさを聞く会」と称して、数人の保護者たちがそれぞれに感じたやさしさを話すという総合学習の授業に参加したからだ。「乳幼児を育てている人」「お年寄りや体の不自由な方のお世話をしている人」「外国の人及び外国に住んだことのある人」の3つのグループに分かれて、ボランティアとして、実際に味わってきた「やさしさのエピソード」を紹介する。

話す対象は、息子の学年である3年生。あまり人前で話す機会がない私は、子供たちのグループに話すという責任のある立場から、かなり緊張してのぞんだ。ああ、話上手なお母さんがうらやましい!

先生たちの紹介の後、まず仕事で介護士をされているというお母さんが、全員の前で、介護士の仕事内容、お年寄りの立場などをゆっくりわかりやすく説明した。子供たちは、みんな目を大きく見開いて、真剣に話を聞いている。みんなを包み込むような説得力のある語り方で、みんな「これからは、お年寄りにやさしくしなければ!」と目が語っている。話の後で、質問も次から次へとでる。「介護をしていて、今までで一番大変だったことは?」という質問には、「各自、みんなやってほしい要求が違うんですね。でも、それをはっきり言ってくれないので、それを理解するのが大変です」とのこのお母さんの答え。

「今まで一番うれしかったことは?」と鋭い質問が出る。「やはり、お年寄りに喜んでもらえたときですね。」とこのお母さんも笑顔で答える。女の子たちは、話し方もしっかりとしていて、「お話を一言ももらすまい」と聞いていたことがうかがえる。息子もこのお母さんの貴重な体験談をしっかり聞いているといいな。

さて、いよいよ私たちの番である。残りの2つのグループは、3人づついるので、3つのグループに分かれて、20人ぐらいのグループの生徒たちに話をする。私のグループは、息子を含む2つの組の生徒たちが一緒になったグループ。イスに座って話してもいいのだが、ついつい力がこもって立ってしまった。

簡単な自己紹介の後、シカゴの位置を地図で確認する。「どこ、どこ!」とみんなどのあたりなのか、しっかりチェック。シカゴの摩天楼も写真で簡単に紹介。「見えない!」という子もいて、みんな興味があるようだ。シカゴの気候、アメリカ人は、知らない人にもにっこり笑って気軽に挨拶をし、困っている人を助けるという一般的なことを少し話す。そして本題。息子たちが、地域のリトルリーグで受けたお父さんコーチたちの優しさについて、簡潔に話した。

アメリカの子供たちの野球、リトルリーグのことを話し、写真でリトルリーグの様子を見せると、身を乗り出して、写真に見入っていた。英語がしゃべれなくても、身振り手振りで、お父さんたちが教えてくれたこと。(実際は、ペラペラ英語をしゃべっていたときが多かったけど・・・)英語が理解できない子供をチームに受け入れてくれた優しさが、息子たちが野球好きになり、アメリカ人の子供たちと友達になれたことなどを話した。

そして、最後に、息子たちが所属していたバッファロー・グローブのリトルリーグに存在したユニークな「バディ・リーグ」のことを話した。身体障害者の子供たちで構成するリーグで、子供たち1人1人がプレーするときに、大人や中学生のプレヤーたちが、介助する。実際に毎年行われるオールスター戦で、車イスに乗って、ピッチャーをする子供たちの試合を見た。その時、観戦している親たち、応援する地域の人たちを見て、健常者たちの試合と何ら変わりない盛り上がりに、いたく感動した。そのことも今日子供たちに伝えた。そうしたら、みんなとてもびっくりしたような顔だった。「身体障害者たちも普通に野球をしている!」「アメリカってそんなにやさしい国なんだあ!」って思ってくれたら、うれしい。

2つのグループに話をしたが、みんな活発に質問をしてくれた。「アメリカで、どんなことが一番大変でしたか?」「日本に帰ってきて、大変だったことは?」矢継ぎ早に質問も出た。みんな手を上げてくれて、全員にさす前に時間がきてしまったほどだった。2つ目のグループでは、私も少し慣れたせいか、かなり親密に話ができた。

この保護者たちの話の後、子供たちは簡単に感想を作文に書くようだ。子供たちが、これを機会に少しでも日本にいる外国人の人たち、あるいは、お年寄りや身体障害者の人たちにやさしくしてあげようと思ってくれたらいいが。今日の午後は、自分の体験談を子供たちに伝えたという充実感に浸って、気持ちがよかった。

日本のクリスマスのテーマカラーは、ピンクか!~「さいたま新都心」駅ビルにて

2008-12-07 | 日本生活雑感
昨日は、先日紹介した「越谷レイクタウン」、今日は「さいたま新都心」駅ビルの「コクーン新都心」という2つのショッピングモールへ出かけた。込んでいる時間帯をずらしたため、人の波はそれほどでもなく、12月といえどもまだ師走には突入していない。

目を引いたのは、両方のショッピングモールの中央に、細長いセンスのいいクリスマスツリーがきらびやかに輝いていたことだ。レイクタウンの方は、所々ピンク系のオナメントでまとまっていて、いかにも女性好みという感じにしたててあった。



「コクーン」ショッピングモールから続く「さいたま新都心」駅への通路には、随所にイルミネーションがほどこされ、駅前の中央の道路にもピンク系の色で木のイルミネーション。今年の日本のクリスマスのテーマカラーは、ピンクなのか?



さいたまスーパーアリーナやジョン・レノン・ミュージアムもある「さいたま新都心」という町。近未来風な建物が多く、埼玉にいながら、新宿や銀座のようなメトロポリタンな雰囲気にどっぷりつかれる。日本一の大規模ショッピングセンターの「越谷レイクタウン」のある越谷だって、埼玉県だ。「ダ埼玉」と呼ばれた過去もあった。その言葉は今や死語となっているのか。

いくつかの市が合併してできた広大な(英語で言えば「huge」って感じか)さいたま市。「ダ埼玉」から脱却し、新鮮な響きを持たせたいため、ひらがなで「さいたま」なのだろう。シカゴに来る前に埼玉県に7年以上も住んでいたので、私はこの県にとても愛着があるし、いつでも埼玉を応援している。(でも浦和レッズは応援してない!レッズファン許せ!埼玉ライオンズは応援してるけど)

今日は、とてもおいしい回転寿司屋を見つけた。コクーン内にある「回し寿司 活 (カツ)」というお店。寿司の美登利総本店プロデュースの回転寿司で、いつも行列ができるという。今日は3時以降に行ったので、しばらく待って座れた。ネタが新鮮で大きくて、しゃりもしっとりおいしい。板前さんたちがにぎってくれる。


息子の好物ネギトロのまぐろの量がすごかった。シカゴのスシステだと、息子はいつも何皿もネギトロを食べるのに、ここでは2皿で満足していた

つくづく、日本に帰ってきてよかったと思えるひと時だった。(シカゴのみんな本当にごめんよ。私たちの幸せを分けてあげたい!)おなかいっぱい食べまくって、4人で(ビール2杯含んで)5000円ぐらい。回転寿司でこんなにいい味だとまたすぐに来たくなる。電車に乗って、行列を待ってもいいから、またすぐに来よう!「絶えずに行列ができる理由は、使用しているネタが本店と同じ築地から毎日仕入れてくる鮮度抜群の魚をなんと一皿2カンで105円から提供しているから」だそうだ。

TEL 048-600-3977
営業時間 11:00~23:00(ラストオーダー 22:00)

今後ゆっくりさいたま新都心周辺を紹介していきます。



初めての日本の小学校の授業参観・保護者会~日本の小学校その3

2008-12-04 | 日本の小学校
今日は、下の息子の小学校の授業参観と保護者会があった。授業科目は、算数で、シカゴ日本人学校と同じように、担任の先生とアシスタントの先生が2人で教える。アシスタントの先生は、年配のベテランの男の先生。白髪交じりだったので、管理職の先生が見学にいらしてたのかと思ったほど。でも、とても丁寧で、授業の準備はこの先生がされているようで、「35人のクラスの生徒たちの算数もこういうアシスタントの先生が入れば安心だ」と隣に立っていたお母さんと話していた。

算数の内容は、架空のクラスの35人がそれぞれ自分の好きなスポーツをカードに書いて、それが表になっている。アトランダムに並んだ表を各スポーツごとに人数を調べて整理する。まず、どうやったら、整理できるかみんなに意見をだしてもらう。「列に並べ替える」「丸をつけていく」「正の字を書いていく」などといろいろな意見がでた。

結局、各スポーツごとに正の字を書いていき、人数を調べるということになった。うちの息子は、この正という字を書いて、数を表すということをしたことがなかったようだ。横に棒を並べていたようだ。この正という字を5として数えて使うという方法も日本ならではだ。私たちは、当然のように普通に使っていたが、海外にいると抜け落ちるのだと思った。

少ない人数のスポーツは、「その他」に入れようとのアシスタントの先生の提案。最初の表には、単に全部のスポーツが列記されているが、先生がだされた表には、「その他」と書かれている。その違いを見つけなくてはいけない。「その他」という表現も現地校に通っていた子供たちにとっては、理解するのはむつかしいかもしれない。ほんのちょっとした言葉なのだが、日本語って大変だとつくづく思う。今までこんなことは、考えたことがなかった。

日本の小学校の教室を見ると、さまざまなことが書かれている。質問のこと細かい決まりごと。いくつもの目標。各自、総合学習でのぎっしりとしたレポートが書かれた新聞。やっぱり、すごい!勿論みんなのお習字の字も張られている。「にじ」という字だ。息子も丁寧に書いていて、後で担任の先生からもほめられる。お習字は、日本人学校の授業でやってくれていて、よかった。

子供たちの様子だが、多くの子が手を積極的に挙げていて、的確な答えで、とてもいい印象だった。先生の授業の進め方もわかりやすく、てきぱきとしている。わからない子には、丁寧に指導される。息子も積極的に何回も手を挙げて、発言していたので、ほっとした。

参観に来ているお母さんたちの数は、そこそこ。なぜか、半分の人たちしか教室にはいらず、あとの半分は廊下にいる。教室のスペースがあるのに、不思議だ。保護者会は、数人が欠席で、思ったより多くの人が出席している。担任の先生がてきぱきと進め、質問もまったくでないので、あっという間に終わった。保護者会の後の個人的な私の質問の方が長かったような・・・だって、日本の小学校、わからないことだらけだもの。

一つ大ショックだったこと!担任の先生が、現在身重で、1月から担任が変わるという。保護者会で、突然先生が言われた。せっかく、息子慣れてきているに・・・とてもおめでたいことで、喜ばなければいけないが、「うちはついてな~い!」と思ってしまった。とてもいい先生だから。明日、子供たちに先生が話すという。

保護者会の後は、ボランティアのお母さんたちへの打ち合わせ。この学校では、「この町のやさしさを聞く会」と題した総合活動の授業で、いろいろな人(思いや行為に直接うれた経験ある方)から話を聞く活動を進めている。誰に対してもやさしい町であるように学習をすすめていくという。今回は、3つのグループに分かれて、お母さんたちが話をする。①乳幼児を育てている人②介護をしている人③外国に住んでいた経験のある人。というわけで、③に該当する私の出番とあいなった。帰国して間もないため、迷ったが、7年間もアメリカに住んでいたので、何か子供たちに役立つ話ができるかもしれないと思ったからだ。転入のため、すでに決まっているボランティア活動も今からでは入れないので、せめてもの・・・というわけで、思い切って話をすることにした。

海外での経験を話すことで、こちらで外国の方に対する優しさとはどんなことなのかを子供たちに感じとってほしいという先生たちの願いだ。たった10分で、2つの3年生のグループに同じ話をする。うまく話せるだろうか。いったいどんな例を持ってきたらいいものか。来週の火曜日が発表なので、それまでに考えなくてはいけない。介護を仕事としているお母さんとともに、「うまく子供たちの前で話せるかしら」と心配していた。ただ、このお母さんは、最初に全員の前で話されるというから、私自身がとても楽しみだ。②の介護の話をするのは、1人しかいないためだ。①と③は3人づついるという。今週は、このように、やっと地域のお母さんたちとも少しづつ話す機会ができて、これも子供たちのおかげだとつくづく思った。明日は、上の息子が通う中学の授業参観と懇談会だ。

追伸 誰も写真を撮ったり、ビデオを回していないので、写真を撮る気にはなれなかった。授業参観、写真を撮ってもいいらしいが・・・シカゴは、みんながビデオ撮ったりしていたので、バチバチ写真撮れたけど。残念!

下の息子、持久走でなんなく完走!~日本の小学校その2

2008-12-03 | 日本の小学校
今日は、下の息子が通う小学校の冬恒例の持久走が行われた。12月だというのに、ぽかぽかと暖かい日差しと雲一つ無い真っ青な空の下、男女に分かれて、各学年の子供たちがいっせいに走り、日ごろの持久力を競った。



息子は、持久走に参加するのは、初めて。11月に何回か行われた練習では、「きついから、歩くしかない!」などと言っていたので、私はやきもきして、息子にとって、先月の音楽会に続いて、大きなチャレンジングなイベントとかなり心配した。

1、2年生が800メートル、3、4年生が1200メートル、5、6年生が1700メートルの距離を走り、校庭を半周から2周して、学校の外を簡単にぐるりと周る。知り合いのお母さんたちの話によると、この距離は子供たちの持久力を比べるのには、短いのだそうだ。本当の意味での持久力は、もっと長い距離でないと、わからなくて、この距離だと持久力が足りなくても、短距離が速い子供が気力で、突っ走り、上位を獲得してしまうという。

しかし、うちの息子にとっては、長距離を走ったことがないので、とにかく遅くてもいいから、完走できるだけでいい。どうか完走できますように!と祈る母。校庭には、多くの母親、及び父親たちがわが子の晴れ姿を見ようと集まっている。ビデオを片手に、自分の子供が上位に入る自信がある親たちは、気合がはいっている。日本の母親たちは働いている人が多いから、こういうイベントに無関心かと思えば、みんなパートを遅刻したり休んだりして、ビッグイベントにのぞんでいる。「ナーンだ。日本でもシカゴでも親たちが熱心なのは、みんな同じなのね。」とほっとする。

引越してきて間もないので、知り合いがあまりいなくて、1人さびしく応援するのだと思ったら、次から次へと友達が現われ、「ひさしぶり~!」とぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ。中には、7年ぶりの古い友達がいて、すごい勢いで、自分自身の話をし、アメリカのことを質問される。私はその勢いにポカ~ンとしてしまう。数人の友達が、息子と同じ学年の友達を紹介してくれる。他のクラスだが、彼女らの子供が男の子とのこと。初めて話すが、なごやかに、情報交換。ラッキー!こういうイベントがあると助かる。

さて、息子たち3年生は、一番に走る。息子たち男の子たちは、最初の女の子軍団の後だ。1クラス33人ぐらいで、4クラスだから、130人ぐらいだろうか。その半分だから、70人前後か。すごい固まりの男の子たちが一斉に飛び出す。



友達の話では、このときが危ないのだそうだ。過去、このときに勢いがありすぎて、ころんで怪我をする子供たちがいたという。他の学年だが、骨折をした男の子もいたそうだ。日本の小学校は、年々子供の数が少なくなっているとはいえ、1学年1クラスしかないシカゴに比べると、ド迫力だ。

さて、息子は黙々と無表情で、走る。最初は、後半より後ろの方だったが、抜かしたりしている。「がんばれ~!息子よ!」



校庭を2週して、外へみんな出て行く。大急ぎで、外を見に行く。あっという間に、先頭集団が学校の校門にもどってくる。速い!息子の数少ない友達のケンちゃんが、その中にいる。ケンちゃんは剣道をしている。普段からきたえているんだろうなあ。ケンちゃんのお母さんもお父さんと応援に熱がこもる。「ケン、がんばれ~!」ケンちゃん、堂々の3位でゴール。

息子が、外から校門に向かってくる。後方軍団の中だが、まだまだ、後方に何人もいる。やったじゃん。スピードもおちていない。「ケンちゃん、3位よ~!」歓喜するケンちゃんのお母さんの横で、もっと大げさに興奮して「息子が完走できて、本当によかったあ!」と私は飛び上がるぐらい大喜びする。周りから見れば、なぜ??と思われただろう。上の息子の友達のお母さんも息子を応援してくれた。シカゴ日本人学校全日校での日々の運動がきいていたのかしら。本当にありがとう、イダせんせ~い!大大感謝!息子でこの調子だから、全日校3年生のみんなは、日本でも絶対大丈夫よ!

息子に続いて、後方の子供たちが、必死で走る。最後の2、3人の子供たちには、みんな拍手で迎える。中には、きつくて歩きたくなる子もいるだろうが、完走することに意義があるのだ。親たちは、上位に勝利した子供の親には、「おめでとう!」と表面上は祝福しているが、なんとなくくやしさがただよっている。子供にとっての一大イベントの持久走。が、親としての威信がかかっているので、親にとっても一大イベントなのだ。私は、息子が完走できて、今日は1日気持ちが良くて、ハッピーだった。息子、第二関門突破!

デンマークの画家、ハンマースホイの静謐で不思議な空間~上野の国立西洋美術館にて

2008-12-02 | アート
今日は、上野の国立西洋美術館で開催中のヴィスヘルム・ハンマースホイというデンマークの画家の展覧会に足をのばした。この美術館を訪れるのは、何年ぶりだろう。上野駅からこんなに近かったっけ?というぐらい公園口を出て、すぐにそびえたつ歴史ある日本を代表する美術館。

館の門の入り口にハンマースホイの代表作、「背を向けた若い女性のいる室内」の大きな看板があり、その放っている独特の存在感が人々の目を引く。女性が後ろ向きで壁に向かってたたずんでいる。



まだシカゴでこの絵の白黒写真を6月22日付日経新聞で見て以来、心に引っ掛かり、気になっていた。白黒なのに、女性の周りの空気というか、空間のざわめきを感じるのだ。壁の質感で、それを表現している。12月7日まで、このアーティストの展覧会があると書かれていたので、日本に帰国したら、絶対観に行こうと決めていたのだ。

館の前には、いつものように、ロダンの代表作、「地獄の門」「カレーの市民」そして、一番有名な「考える人」が堂々と息づいている。この大作がタダで拝めるというのもすごいこと。





考える人の横には、大きないちょうの木が後押し。「元気だったねえ」と話しかけるけど、彼は無視して、ひたすらこわい顔で何かを考えている。



夏に一足先に帰国したシカゴでの仲間、マチコさんと待ち合わせる。シカゴで一緒だったなんて、一昔前のことのようだ。マチコさんと話していて、日本での生活の立ち上げを子供たちと一生懸命してきたのが、うかがえる。彼女は、神奈川に住んでいる。こうやって、また上野で会えるなんて、大げさだが、時空をひとっとびしてきたような気さえしてしまう。それほど目まぐるしかったね、お互い。一言一言、「ウン、ウン!」とうなづき、気持ちがお互い痛いほどわかってしまう。シカゴの友達は貴重だ。

ハンマースホイの作品は、大きく分けて、人物画と風景画と2種類。1864年生まれで、作風が変わっていたので、当時の画壇では、認める人とそうでない人とが真っ二つだったようだ。デンマーク人なので、作品全体の雰囲気がどんよりしている。デンマークの空気を感じるほど、グレーやモスグリーンで覆われた作品が多い。

自分の妻をモデルにいくつもの作品を描いている。印象に残ったのは、正面からとらえたグリーンの肌をした病的な妻の作品。30代後半の妻が目の下の隈まで見せて、妙にふけて、生活に疲れきった顔をしている。

かと思うと、冒頭で紹介した「背を向けた若い女性のいる室内」のような後ろ向きの作品では、白いうなじとほつれ毛が印象的で、美しく描かれ、タイトルにあるように若々しい。専門的な絵の解説は、専門家に任せるとして、これらの作品は、観ているとだんだん気持ちが穏やかになれるほどの静謐な世界をかもしだしている。画家本来のデッサン力もとてつもないレベルなのだろうが、油絵の具の質感、とくに光の出し方も、白の絶妙な配置も素晴らしい。

手前に後ろ向きの妻がいて、ドアが放たれ、奥の部屋の窓からの光がでているせまい空間の表現も私たちにはある種の希望のように感じられ、日本での生活の活力になった。

帰国前後、本当に忙しかったので、今日はハンマースホイを堪能した。ざっと印象を簡単に書いてみたが、また機会があったら、ゆっくり熟考してみたい。

今日の写真は、全部携帯から撮ってみました。一眼レフを持っていったのだが、バッテリーを忘れてしまい、しかたなく携帯から初めて写真を撮ってみたが、なかなかいい色をだしている。メガ数が数十キロバイトというレベルなんだけど、ブログに出ると、1メガのものとさほど変わらないということがわかった。これからは、携帯でもどんどん写真を撮っていこう。



帰国後1ヶ月、アメリカ駐在生活を総合的にふり返って~緊張感と闘う日々の7年間

2008-12-01 | アメリカ生活雑感
日本に帰国して、約1ヶ月。まだまだ、日本の生活の立ち上げ途中。やっと今日から自転車に乗り出し、アメリカで車に乗っていたときと同じような感覚におちいる。自転車を7年間マンションの駐輪場に置きっ放しだったので、鍵がおかしくなっていた。よって、今まで、あらゆる場所を歩いて生活していたので、すべてに恐ろしく時間がかかった。歩いていても、まだなんだかフワフワして、足が地についていない感じだ。

かつて何年間も住んでいた場所なのに、さまざまなことが変化していて、まったくの一から出直しで、学校関係でささいなことでも聞かないとわからないのが、くやしいし、物事がスムーズに進まないのもイライラする。生活パターンの慣れたシカゴなら、手と体と頭が勝手に作動し、みんなの世話までできていたのに・・・こちらでは、みんなに聞きっぱなしである。

しかし、シカゴに赴任した当初は、かつてダウンタウンに住んだことがあるとはいえ、郊外の車社会での生活は初めてだったので、右も左もわからなかった。赴任直前に日本で車の免許を取って、車の運転デビューをアーリントンハイツでし、子供たちのために、死にものぐるいで、おっかなびっくりの運転に挑戦した。まずは、バスストップまで、次にシカゴ日本人学校まで、そして、日本クリニックとミツワとじょじょに距離をのばして、慣れた。イリノイ州の免許を取るために、1週間必死で、日本語のテキストを参考にしながら、英語のわかりづらいマニュアルを読んで、筆記試験にのぞみ、主人とけんかをしながら、子供たちを乗せて、ウッドフィールドまで、必死で運転したっけ。

それまで、2回アメリカに住んだ経験上、英語でコミュニケーションをとるのに問題はなかったので、アメリカに住むのに自信はあった。しかし、郊外に住むこと=車の運転という経験は初めてだったので、3度目のアメリカ生活は、極度の緊張感にいつもさいなまれていたような気がする。そのせいなのか、年のせいなのか、わからないが、シカゴの駐在生活が始まり、月日とともに、あっという間に白髪が増え、呆然とした。今、日本に帰ってきて、なんとなく、髪の毛の根元が白くなりにくくなっているのは、緊張感がとれたせいであろうか。

アメリカ生活は、異文化に囲まれて刺激的だ。周りはアメリカ人、韓国人、中国人、イラン人、ラティーノ、さまざまな人種だらけ。いろんなことにも挑戦してみたい。でも子供たちがいるから、なかなかできない。でもって、子供の手が少しでも離れると、ここぞとばかり、1つのことにのめりこむ。「アメリカにいるんだから、今やっておかねば!」という強迫観念。友達が、「イエローストーンに車で行った」と聞くと、「休暇中は、アメリカにいるんだから、あそこもここも旅行に行きたい」とよくばりになる。これまた、「旅行に行かなくてはいけない」という強迫観念。(ただ、うちの場合は、若い頃あちこち旅行に行っていたので、今回の駐在では他の人たちほどまめに旅行には行かなかった)

子供たちの教育も然り。アメリカにいるんだから、英語を取得させなくてはいけないという強迫観念。でも、いつか日本に帰るから、日本語はしっかりさせておかないといけない。せっかくアメリカにいるんだから、ここでしかやれないスポーツもいろいろやらせたい。これまた、強迫観念。

その中で、妥協妥協を重ねながら、自分の精神の中でバランスをとり、やりたいことをこなしながら、ストレスをうまく解消し、家族をハッピーに持ってくるにはなかなか努力がいる。親の助けがないので、周りの日本人の友達と助け合いながら、常に周りに気を使いながら、自分にむちを打ちながら頑張る日本人の駐妻たち。私もそんな1人でした。

日本に帰国して、わからないことへの日々のストレスと生活の立ち上げへのイライラはあるが、正直心底ほっとした。7年間、シカゴで何も大きな事故に遇わずに済んでよかったと。「子供たちに何かあったらどうしよう!」といつもどこででも緊張していた。広いアメリカで、子供たちが誘拐されたら、絶対に会えなくなるから、常に外では目を離さなかった。毎日、メールボックスに入ってくるちらしに尋ね人として2人の子供たちの顔写真がでているのが、毎回顔が変わるので、ぞっとしていた。

日本では、上の息子は、最初からまったく問題なく、1人で動くようになった。下の息子は、学校や近所のコンビにまでは1人で行けるようになった。勿論、日本も物騒なのだが、車で送り迎えをするという私の大きな仕事が1つ終わったという感じだ。子供たちの野球の試合で、車で送り迎えもしなくてはいけないというが、今は運転をしたくない。主人が運転すればと勧めるが、断じて!

7年間続いた毎日のお弁当作りからも解放された。土日の部活のランチは、節約のため、お母さんたちの手作りのお弁当をみんな持ってきているというが、私はお金がかかっても、今は作る気がしない。息子もコンビ二の弁当がうまいと喜んでいる。朝練で早く起きなくてはいけないときも、息子が勝手に起きて、勝手にパンを食べて、出て行くときもある。今までなら、弁当作りがあったから、絶対に私が先に起きて、息子たちを起こしていた。今は、すべての反動で、私はとても怠惰になっている。ごめんよ、みんな。でも、息子はまったく文句は言わず、黙々と我が道を行く。できない母親を持つと、息子はしっかりするもんよ。こう言いながら、下の息子には、あてはまらないかもと思う私。

全身全霊で、子供たちを守りきったシカゴ駐在生活。「あのときああしていれば、よかったのに・・・」と思うことも多々あるが、みんなが無事に何事もなく日本にもどってこれてよかった。そして、現在、多くの駐在員家庭の妻たちが海外で、私たちと同じように、必死で子供たちを守っている。よく「駐妻って優雅だ」と言われるかもしれないが、その華やかなイメージとは裏腹に緊張感にあふれた内面は、大きなギャップがあることをわかってほしいと思う。とにかく、何事もなく、みんな無事にもどられますように!