近江国にも余呉片岡郷があり、鎌倉時代ではないが佐竹氏も関係があったようだ。
片岡常春
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栗里先生の雑著 15巻上 『片岡経春は中臣方岡連の族類乎』 という一文あり。
片岡 近江国伊香郡片岡郷発祥の片岡大連、大和国葛下郡片岡庄発祥の藤原氏などほか藤原南家 菅原氏 越智氏など
風土記の中の「久慈郡の部」の中に
大中臣と同祖の中臣片岡連 とあり、祭祀関係の氏族! とあった。
九里の祖でもある「中原太郎経久」=「片岡太郎経久」なのではないだろうか。
大中臣氏の中には中原氏も存在している。
「祭祀の族」から「文官も担いかつ武士でもある」という族に変貌していった可能性もある。
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他に近くに見えてくる「片岡氏」
片岡信親 順信(親鸞の弟子)
この周辺と九里氏が繋がっていると仮定をしてみようと思う。
そして、今日届いた『姓氏と家系』日本家系図学会の冊子に
「日蓮上人と貫名海屋の系譜ーーとあり、そのなかに日蓮の諸伝の中に「仲太」「仲三」という称も見え、こちらの表記の方が早いので本来は藤姓ではなく「仲姓」(中原氏か)などの別姓も考えられる。」
とあった。
そう、貫名の局(日蓮の祖母)と富木常忍の母親は若い時分共に京(関西)にいたようで、昔からの知り合いだったようである。
さらに曽谷教信の息の日進のwikipediaによると
「曽谷教信は皇后宮大進清原真人行清の子孫・大野右衛門大夫清原政清の子で、政清は日蓮の母の兄」とあり、清原姓であるようだ。
つまり、大中臣氏は藤原氏も含み、大中臣氏は清原も中原も部分的にではあるかもしれないが重なっているのだと思う。
あと佐竹さんにも縁があるならばとても嬉しいですけどね。なんとなく女性を大事にもしてくれそう。今後そんな世になったら女性以外の偏見持たれそうな方々も安心して生きれるようになるんですけどね。
鎌足も藤原貰ったのは亡くなってからだから藤よりも中のが縁が正確には強いはずですよね、子孫としても。それから静岡富士山の辺りでも藤原さんが修験道っぽいし、神職なりが出来る素質の方の代名詞で目印になりますよ。確か有名な場所でも大抵由来の最初は藤原さんです。でこれが江戸でもそれが結構あるのがびっくりなんですよね。藤太のエピソードあるところも神社でも結構出てきますし。
藤太のエピソードと富塚がある所もあります。素質のある方が関わった土地の目印にもなりそうです。
いつもたくさんの気づきをありがとうございます。
佐竹氏。片岡常春が娘婿で関係があったため、頼朝に目をつけられて、領地没収されています。
片岡常春は平氏より、でも弟?の為春(弘経)は北条泰時と関係があるので、その時は一応源よりになるのでしょうかね。
私も現地に足を運べるようにしていきたい!です。