此処は、中原久経にも関係してきそうな重要な箇所と思う。
波多野氏に中原氏がはいりこんできている。
googlebooksの情報を集めると
白河義典、公暁の死を聞き自殺す
義典は公暁の家人であったらしい
公暁の使として神宮に奉幣せる白河義典は帰途三河国矢矧宿に至つて公暁の死を聞きて自殺せしかば、幕府は共所領を没収せり。
・・・とある。
中原氏は乳母(めのと)の役割の者が多く、公暁の乳母でもあったのがこの俊兼の娘であるのではないだろうか? 公暁と共に育ったのが義典であったのではないだろうか? とますます思う。
最初は公暁の実母が中原氏と思っていたのだが、乳母が中原氏であったのではないだろうか?と今思っている。
下から5行目 俊兼 ↑ (官吏補任 永井晋 著)
上から5行目 俊職 ↓ (官吏補任 永井晋 著)