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もしも明智光秀の父が土岐元頼(基頼)ならば、と、調べてみました。

2020-09-01 | 土岐氏

もしも明智光秀の父が土岐元頼(基頼)ならば、祖父は土岐成頼となる。

土岐成頼はどのような人物だったのだろう。
コトバンクより
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
[生]?
[没]明応6(1497).4.3.
室町時代の武将。美濃国守護。『土岐累代記』には「饗庭備中守元明ノ長子」とみえ,『美濃明細記』には「饗庭備中守義教ノ子」とある。土岐持益の子持兼の早世により,相続問題から国内が乱れ,土岐家執事斎藤妙椿の援助で土岐家を襲った。幕政運営に関与し,応仁の乱には山名方に一味し,文明9 (1477) 年足利義視を奉じて美濃に帰った。


1442-1497 室町時代の武将。
嘉吉(かきつ)2年生まれ。一色義遠(いっしき-よしとお)の子一説に饗庭(あえば)元明の子とも土岐持益(もちます)の養子となり,美濃(みの)(岐阜県)守護をつぐ。応仁(おうにん)の乱では西軍の山名持豊(もちとよ)方にくわわり,乱後は足利義視(よしみ),義材(よしき)(のち義稙(よしたね))父子をともない美濃へもどる。明応4年船田合戦で跡継ぎに長男政房を推す守護代斎藤利国に敗れ,隠居。明応6年4月3日死去。56歳。名は「なりより」ともよむ。

…と諸説ありそうである。

今度は元頼の周辺を見ると(wikipedia)
「兄弟 政房(頼継)、大畑定頼、佐良木尚頼[4]、元頼、萱津頼房、某(六角高頼猶子)」

東京大学史料編纂所で調べてみると、
1496年に 土岐元頼は自害したことになっているようであるが、この時に自害はせずに逃げてきたのであろうか。












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