平 雅行氏による研究成果報告書の中に、「親厳」に関わる記述があった。(嬉しいデス!)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-18520494/18520494seika.pdf
論文「鎌倉期随心院の史料紹介」では新出史料を紹介し、次の事実を明らかにした。
①随心院の創始者である親厳は、鎌倉に赴くことはなかったが、大江広元の近親ということもあり、随心院門跡は鎌倉幕府と密接なつながりをもった。
②将軍頼経の要請で、親厳は弟子の厳海を鎌倉に派遣した。
③随心院における将軍祈祷は厳海ー宣厳ー厳恵へと継承された。
厳恵は鎌倉明王院の別当となり、1266 年将軍宗尊の失脚に巻き込まれて遁世するまで将軍護持に従事した。
④随心院厳恵と静厳への継承にかかわる『野沢血脈集』の記事は信憑性が低い。
⑤厳海の弟子である随心院成宣も、一時鎌倉に赴いた。
https://www.pref.kyoto.jp/kaidai/kaidai-su.html
https://www.pref.kyoto.jp › kaidai › kaidai-su
随心院記録(ずいしんいんきろく) 中寄古002
京都市山科区小野随心院に伝来した記録を中心とした文書。149点。
随心院は真言宗善通寺派の大本山。鎌倉時代、紀伊国井上本荘など多くの寺領を有して繁栄した。
応仁の乱で兵火にかかって以後は荒廃していたが、慶長4(1599)年、再興した。昭和6年、善通寺派と称し、大本山となった。
院主は小野門跡とも呼ばれ、九条家など摂関家出身者が務めたため、近代に至るまで九条家との関係が深い。
文書の内容は、127点が江戸時代から明治初年までの記録である。
随心院文書(ずいしんいんもんじょ) 中寄古001
隨心院文書(京博分)(ずいしんいんもんじょ) 中集古S299
京都市山科区小野随心院に伝来した文書。428点。
随心院は真言宗善通寺派の大本山。
鎌倉時代、紀伊国井上本荘など多くの寺領を有して繁栄した。
応仁の乱で兵火にかかって以後は荒廃していたが、慶長4(1599)年、再興した。
昭和6年、善通寺派と称し、大本山となった。
院主は小野門跡とも呼ばれ、九条家など摂関家出身者が務めたため、近代に至るまで九条家との関係が深い。
山城国弘誓院・宝幢院・讃岐国善通寺などを管領し、また東寺長者・東大寺東南院院主職をしばしば兼帯したので、随心院文書には固有の本来文書に加え、これら諸寺院に関わる文書が伝えられることとなった。
主なものには建武4(1337)年の光厳上皇院宣、応永20(1413)年の後小松上皇院宣、享徳3(1454)年の室町幕府禁制や、鎌倉時代前期の六波羅探題北条時頼・北条重時連署書状など、公武の政権からの文書がある。
また九条経教・九条政基・九条尚経・一条経通・一条冬良など摂関家の御教書・書状も多い。
紀伊国井上本荘絵図は、正慶2(1333)年九条家の寄進により随心院領となった同荘の絵図である。
河川・井手・溜池・人家・社寺など豊富な記載内容と彩色で、地図としての精度も高く、中世後期荘園村落の様相が読みとれるものとして著名である。
これらの文書は当館が寄託を受け公開しているが、原本保存のため写真帳16冊(資料番号 中複製S005)を作成し、閲覧に供している。
随心院には、このほか天平勝宝8(756)年孝謙天皇勅書案并左京職勘施入所絵図案に始まる古代・中世文書38点があり、重要文化財に指定されている。これらは京都国立博物館に寄託されているが、これも写真帳1冊(資料番号 中集古S299)により公開している。
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この隋心院門跡の公文をしていた九里氏だったのだろうか?
関係が小野関係で京都に行ったんですけどここかな?近江なら小野関係の場所は私も白髭行った時にある程度把握して調べてましたが京都は気になっていましたけどどこの寺か確認してませんでした。
醍醐寺の近くだし色々妄想しますね。
奈良でも小野小町の関係する場所が妙に気になってましたけど連動してくるかな?
で父の関係の中では和邇氏が絡んでくる事も多いのでこの女系にも確実に入ってそうに思いますね。
勝宝8年だったかな?この時期の年号も気になりますね。ただ700年代は相当面倒くさそうな時期なのであまり歴史でも見えてこない600年代のこの場所辺り探ってみますね。九里さん関係がこの辺り関わってない方が不自然には思いますよ。地名が御霊ってあるのでこれも探索ワードで鎌倉五郎だっけ?あの辺りも関係するかなぁ?とにかくその土地が過去を払拭してより良い地になるためなる為にその当時の事実が歴史の中で見えてくるといいですね。
各地の小野の付く地名は探っていましたので京都にあるとは気付きませんでした。駅名になってますね。
私の小野との出会いは諏訪ですけどこの辺りとの関係も気になりますね。何しろ鎌倉時代の関係ある一族の繋がりは結構水面下で大事でしょう。複雑ですけどそれがないと江戸時代にも繋がっていないでしょうね。
元々縁がある地域には子孫も含め歴史の中でも各時代で関わってくる一族が共通してくる事が多いです。
京都はあまり好きではないんですけど中心から離れたら外側に気になる場所があるんですよね。私は結局山が気になるだけなのかしれませんが、地形故の知恵や信仰とくっ付いてきやすいのかもしれません。
とっても気になる地域になりましたよ。