この糟屋荘の下に注目していただきたい。
【領家・本家】 安楽寿院領・皇室領・昭慶門院領・広橋雅清領(預所)・得宗領(貞直跡)・足利尊氏領・室町幕府御料所
安楽寿院領=地頭職は糟屋氏滅亡後、北条得宗領
久寿元年(1154)立券、安楽寿院領・領家(預所?)=源雅清→→(延文)久我家・庄司→地頭=糟屋氏(比企乱で滅亡)→北条氏→(元弘)貞直跡→足利尊氏→(寄進)清水寺・庄政所あり・関東管領上杉氏の一の拠点・『出典』追加:金沢文庫文書・高山寺文書・山科家文書・比志島文書
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糟屋氏が地頭であり、庄司は源雅清=広橋雅清であった。
久我であり、広橋であった源雅清。
大江広元の長男親広も同じく久我を名乗っていた。(村上源氏の通親の猶子となっていた。)
さらに因幡国に目を移すと、1185年源通親の次男源通具が因幡国の国司となっている。
この辺りから九里の祖以前の中原氏と糟谷氏や源氏・日野氏・広橋氏とが繋がっていたような気がする!
大江氏だけではなく、日野氏・広橋氏とつながっていて、しかも波多野氏の祖である佐伯氏とのつながり。さらに比企の乱では、能員の味方であった。
岡田氏を探していて、岡田浩佐家文書に出会い、糟谷氏につながり、ここに至るなんて不思議なものである。
広橋氏って全く知らなかったので今後しらべてみますけど、広幡って変わってないかな?
超面白くなりますよ。2480完璧な数字。ただ佐伯はなあ。この辺りを今後調べるようになりそうですよ。