佐々木哲先生のメルマガで、2018年に送っていただいた【佐々木信綱の系譜1~秩父平氏と信綱】 に大きなヒントがあった。
『河崎氏の系譜:その(渋谷)重国は東海道を陸奥に下向する途中の佐々木源三秀義を引き留め、秀義・中務丞経高父子を女婿に迎えている。そして河崎氏惣領中山重実の子五郎為重は信綱を女婿に迎えた。実は奥州総奉行葛西清重も隠岐佐々木泰清を女婿としており、佐々木氏は秩父平氏と間の重縁を結んだ。』
葛西清重の婿の部分は、wikipediaによると清親になっていて、塩冶三郎左衛門頼泰
と富田義泰の母となっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E7%BE%A9%E6%B3%B0
佐々木秀義・経高が渋谷重国の女婿に、
佐々木信綱は中山重実の息為重の女婿に、
そして佐々木泰清は葛西清重(清親?)の女婿!!
☆泰清は義清の息である。この「清」は葛西からいただいた通字だったのかもしれない。
以下は弘前図書館のADEACより
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0220205100/0220205100100010/ht020330
葛西氏は、武蔵国豊島郡を本拠とした豊島氏の一族である。清重の父は、史料には豊島清基とも葛西清基ともあらわれるので、父の代に葛西氏を称したらしい。清重自身の本領は下総国葛西御厨で、これが葛西氏の名の由来である。
その子孫が、のちに津軽地方にも広く分布することとなった。弘前藩家臣中にも葛西家がいくつかあるが、津軽の葛西氏についての確実な最古の史料は、永正二・三年(一五〇五・一五〇六)の年紀をもつ深浦町の円覚寺の棟札で、そこに「葛西木庭袋(きばくら)伊予守頼清」の名が刻まれている(史料八七九・八八〇・写真101)。