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長田余一入道昌遍 と 法橋太田昌明の関係は?

2021-12-20 | 九里バラバラ情報
島根県史
守護地頭時代. 6巻附図 法橋昌明 後鳥羽上皇の御召に応じなかった…ということで但馬国守護職と荘園を賜っていることが吾妻鑑に記載がある。
 
この法橋昌明1223年-1228年 進美寺文書に顔をだす。
承久軍物語には「ひたちはうしやうめい」とあり常陸房昌明というらしいことがわかる。

この人物、他の記載では一品房昌寛(頼朝の右筆)の次に書かれているので、兄弟かもしれない。昌寛に昌明

   
 
 
さて、なぜこだわっているかというと「朝山氏」の中に養子として長田余一入道昌元という人物と、その息貞昌の名が見えるからである。長田左衛門尉雅綱という名も見える。長田広雅の子孫と思われると「六波羅探題の研究」(森幸夫著)にも書かれている。
 
となると、因幡国の長田氏と出雲国の長田氏もつながりがある事になるのではないだろうか。
 
 
そして、突然なのだが、ココで紀氏の裔でもある近江国田中氏の系譜を佐々木哲学校の記事から貸していただこうと思う。
 
 
 
田中氏系図

出雲守氏綱(四郎)─左衛門尉雅綱─下野守頼久─頼冬─太郎頼兼
 
出雲守氏綱は、佐々木田中出雲守氏綱である。
 
この雅綱なのではないか?と思っているのが1320年に飯野文書に出てくる長田太郎左衛門尉雅綱である。↓
 
「陸奥飯野文書
元応 2 年 3 月 2 日 関東下知状 鎌倉遺文 出雲 長田余一入道昌遍 長田次郎貞昌 出雲国 長田郷 柒治郷 雑掌教円 杵築大社頭役 雑掌虚成 兼俊 昌有 国司 長田太郎左衛門尉雅綱」とある。
 
前回の「(高島佐々木流永田氏)永田胤信が品川胤信だったのではないか?」に引き続き、
 
今回は「高島佐々木流田中氏の田中雅綱もまた、長田雅綱でもあり、紀氏なのではないだろうか?」と想像している。
 
佐々木となる経方の妻紀盛宗娘にはじまる系譜は、思っていた以上に「紀氏」のつながりが強く、その為に国衙在庁官人や守護、地頭職となった者や、神社関係に入り込んでいた者が、いたのかもしれない、と思うのである。
 
つまり、佐々木の中の紀氏が各地に入っていたというような…感じになるのではないだろうか?
 

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2 コメント

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Unknown (竃飛燕)
2022-05-18 12:47:05
 兵庫県宍粟市一宮町生栖梶原大歳神社【三方庄 昭慶門院皇子世良親王領→天領】と静尊法親王但馬国太田庄との関係資料御存知でしょうか?

twitter【竃飛燕】
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鎌倉遺文 (kunorikunori)
2022-05-19 07:50:49
鎌倉遺文
竃飛燕様

コメントありがとうございます。
この大歳神社は初めてその名を聞きましたが、1500年代に勧請とあり、大和から来たのでしょうか?

三方荘に関しては↓にある様です。

鎌2940・鎌3478・鎌3479・鎌22661・鎌25876・鎌27674・鎌32655・鎌32682 
(私は内容を見ておりませんが…)

其の記載と「太田守延」コトバンクをかみ合わせていけば、何か見つかるのではないでしょうか?
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