九里 【九里】を探して三千里

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品川胤信が永田胤信がつながる?

2021-12-20 | 九里バラバラ情報
 
記憶をたどりつつ‥‥気になっていた部分を見つけた。
 
 
出雲佐々木氏一族で仁和寺領大原郡広田庄を支配した一族が広田氏の記事である。
 
 
九里家の伝承に広田氏が関係していた。(戦国時代)
 
また、戦国時代ではあるが、永田氏の系図に「称九里」とあった。
 
この二つが解明されるかもしれない。
 
 
上記のHPに品川氏が出ていた。
 
文永8年の広田庄地頭は武蔵国御家人品川弥三郎(胤信)
 
文永8年とは、1271年である。品川氏は紀氏である。
 
高島高信の息に 胤信 がいる。
 
佐々木(高島)高信の兄である佐々木重綱が1207年生まれ、弟の泰綱が1213年 生まれなので、次郎高信は1210年と仮定する。
其の高信の男なので、1230年以降の生まれと思う。
永田胤信(永田七郎…と書かれてはいるが…)
 
ちなみに戦国時代の永田氏の系図の中で称九里となった人物も永田七郎右衛門である。
 
文永8年に胤信は41歳となれば、もしかすると品川弥三郎胤信、同一人物ではないだろうか?
私は、永田氏は長田氏とつながりがあると思っている。
 
紀氏の中に品川弥三郎胤信がいる。
 
もしも長田実経(広経)が紀氏であった場合、永田氏もまた紀氏になるかもしれないという想定である。
 
megaeggさんのHPの中には「大原郡佐世郷を本領とした勝部宿祢一族であり、広田庄を支配していたのも同族であろう。」とあった。
 
そこで勝部宿禰を調べると、勝部神社が近江国守山にあり、さらに出雲に関するweb情報を読んでいると
出雲国の在庁官人 勝部宿祢氏に関する系図「大伴氏系図」を紹介されました。」と出てきた。
 
 
大伴氏系図
朝山家のなかに養子として長田時元(資元の養子)、長田四郎昌元が入っている。
 
 
「広田氏」
 
九里家の伝承
「広田与三左衛門重元、累世江州小幡ニ家ス、織田信長公城ヲ安土ニ構フ、時ニ小幡ノ住民ヲシテ城下ニ移サ使ム、後城傾類ニ及ビ信長公ノ八男、武蔵守信吉道ト公、館ヲ同州高野邑ニ建ツ。復タ小幡ノ巨家ヲ移シ館下ニ置ク、乃チ重元其一人。此レ自リ高野ヲ以テ居住ト為ス、慶長四巳亥九月廿四日卒ス、本源院天景宗祐居士ト号ス。・・・九里与三左衛門、故有リテ性ヲ改ム、九里者母方ノ性也・・・」と。(滋賀県中世城郭分布調査4)

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