左衛門府生中原範景は、承久二年?から文書に見えてくるが、背面の文書で、年号はアヤシイ様な気がする。
寛喜三年(1231年)の文書の裏にある。
寛元元年(1243年)
寛元元年(1243年) 左衛門尉 主馬署兼 正六位上中原範景
寛元四年(1246年)西園寺実氏の家侍となる。
北面武士でもある。
同じく寛元四年の五月、意味はよくわからないが、笠を天皇の頭上に???
宝治元年(1247年)↓ 父友景とともに
建長元年(1249年) 判官中原範景 左衛門少尉
建長二年(1250年) 官人 中原範景
建長五年(1253年)行事検非違使
建長六年(1254年)判官中原範景‥‥
父の友景と同様に、働き者の範景であった。
井口中原の系図の中に、範景は見いだせなかった。坂上氏から中原範政となった系からの養子だろうか?
坂上氏から中原となった系は【範】が通字と見える。
1243年あたりに【範俊】【範基】【範経】が見えるので範景の息かもしれないが、
友景の【景】が通字かも知れず、まだわからない状態である。