波多野義通の母は鎮守府将軍師綱の娘と言われている。
其の師綱の父は藤原尹時 で、
姉小路家 |
藤原氏北家小一条流嫡流 |
なのだそうだ。
そこに、熊野別当との関りが出てくる。(藤原実方から熊野別当家につづく)
波多野義通の母方の祖父が藤原師綱であったことは、大きな力であったのではないだろうか?
しかも、この師綱は陸奥にまで足を運んでいる
しかし、違和感を感じるのである。
なぜならば、wikipediaによると、
波多野義通が1107-0167年 父の波多野遠義は1082-1155年
藤原師綱が?-1172年 で、師綱も娘は1120年代前後生まれと思われる。
ところが、義通の母とするならば、1080-1090年代には生まれていないと困ることとなるのではないだろうか。
となると、師綱は1060年代前後には生まれていないと、、、となり、そこに疑問を感じてしまうのである。しかも、1060年前後に生まれたとすると1142年に陸奥に赴いているという事は、年も80近くで、もちろん1172年迄は生きていないこととなる。
どこかが違っている。
私の予測では、1100年あたりが師綱の生年となり、義通とあまり変わらないように思う。となると、師綱娘が義通の母というのはありえないこととなる。
さて、どうしようか。。