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新宮社をめぐる謎~古くの愛智郡の範囲に豊浦も入るのだろうか?

2016-08-16 | 新宮氏バラバラ情報
『尊卑分脈』によれば、源経方は近江国初代佐々木荘下司である。

佐々木荘の一部の領家だった大宮齋院悰子内親王(堀河天皇皇女(1099-1162) - 賀茂斎院)が、佐々木荘一部を伊勢神宮の【佐々木御厨】にしている。

佐々木御厨(下豊浦)には新宮神社の摂社大神宮があるそうである。これと、今まで記事に書いていた愛智新宮領と関係はあるのだろうか?
愛智新宮の方は日吉社の関係だったと思うが、その後に変わった…とも考えられるだろうか?


永治二年(一一四二)当時の佐々木荘の領家は白河院の養子左大臣源有仁であった。(源行真申詞記)。

経方は近江佐々木荘をその白河院に寄進して、自らは管理の立場である下司となっている。(佐々木哲学校より)

養子であった源有仁とは、どのような人物であろうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%9C%89%E4%BB%81

永久3年(1115年)元服。始め白河院の養子となり皇嗣となるはずであったが、院の孫鳥羽天皇に顕仁親王(後の崇徳天皇)が生まれたことから元永2年(1119年)源姓を賜り臣籍降下し、直ちに従三位・権右中将に任ぜられる。

妻に藤原公実の女がおり、その公実の三男が西園寺通季である。つまり、有仁の妻であった女と待賢門院=藤原璋子は、姉妹である。

その西園寺通季の孫にあたるのが、藤原実明である。

こちらの下豊浦、古くは愛智郡でもあったのだろうか?

ここの、新宮神社 摂社大神宮のことは、以前にも記事で書いたものだろうか?↓

~~~*~~~

安土に安土新宮大社がある。(web情報)

当神社は往古より早玉神社として速玉之男神・事解之男神二柱の御神霊を祀り朝野の崇敬篤く社領千町田に及んだとされる。

社伝に寄れば、75代崇徳天皇の御代天承元年(1131)近家十二代豊浦冠者行実(ゆきざね)なる人が紀伊熊野本宮より伊弉冊の大神を勧請したとされるが確証はないとのこと。

又同年、白河法王の皇女仁子女王外宮が豊受大神に水田二十町三反を御寄進遊ばれ、伊勢より天照皇大神を勧請併祀し社名を新宮大社と改め祭礼を三月五日と定められた。

豊浦冠者…1131年。。。また源行真申詞記に近くなってきてしまった。。。



~~~*~~~

本当に、源行真申詞記に関係があったのだ。ここで、新宮に関してはおしまいにして、次へ進もう!


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1 コメント

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Unknown (りひと)
2019-08-01 09:49:59
今愛知に行きたいんで、アイチという同じ音の場所があったんだと覗いてみました。エリア的にも佐々木とも関係ありそうですし、伊勢神宮の関係の所領に佐々木なんて付くのもびっくりでした。

ランキングで日枝の日枝山探そうと新宮氏検索し始めてらまたこちらのプログですから、専門の方の情報はとっても役立ちますね。

父の関係のゴールは熊野なんだろうと思っていまして速玉さんも超気になっています。近江にも痕跡は近江の方の情報でも多々感じる事とまたそこから大阪経由で和歌山も一連に考えてます。大阪にもいっぱい形跡ありそうですよ。

天台さんには本当にお世話になっておりますので自分に関わる所に関してだけは詳しく理解したいと失礼だとも感じております。

豊浦と聞くと奈良って思ってしまいますし、ずっと豊浦の関係者を探してもいますのでそこへのヒントになるならば本当ワクワクが止まりませんね。
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