いろいろな本やwebの細切れの情報を集めているため、私が記事に書いている系図もまちまちである。
今日は、まとめてみたい。
中原成行の孫、季仲から始まっていたので、そこから想像をたくましくして書いてみようと思う。
中原季仲=佐々木・愛智源二大夫家仲
家仲=井上六郎筑後守行範・実綱
行範=熊野別当長範の息・行範
佐々木源三秀義(母出雲守義親女)の妹と言われているが、娘かもしれない?女性=鳥居禅尼(源為義女か孫娘)
亀井六郎重清=「亀井」で育てられていた佐々木六郎=父親は佐々木秀義と言われている。が、婿養子の可能性もあるのではないだろうか。
なぜ亀井にいたのだろうか。比企尼と関係があるのだろうか。
亀井庄ではなく、三河の亀井なのだろうか?
そしてもしかすると、行範が二人、いたのかもしれない。
鳥居法眼行範は、熊野別当は1172-1173と二年しか熊野別当職についていない。その後亡くなっているので、それ以前はどのように過ごしていたのかが知りたい。
まとめになっていないデス。スミマセン!