令旨の使者に選ばれた熊野の新宮十郎義盛(源為義の子、頼朝、義経の叔父)は、名を
行家と改め、蔵人として諸国の源氏に令旨伝連のため、四月二十七日京都を発った。
人物往来社 歴史読本よりの文だが、これはうっかりしていた! もう一度源行家を読んでみよう。
新宮十郎義盛に新宮義連(佐原)…関係がありそうだ。
佐原義連は三浦義明の子で、現在の横須賀市あたりの佐原に住んでいた。
文治5年(1189年)奥州合戦に従事し、その功により陸奥国会津4郡を与えられた。
義連の妻は武田信光の女であり、妻の兄弟に武田信政・一条信長がおり、その兄弟の母親は新田義重の女となる。
その佐原義連の長男が盛連である。
そして藤原実明の曾孫公名(正三位 権中納言)の母親が佐原盛連の女になっている。
また、新宮氏の説明を見ると「陸奥国(後の岩代国)耶麻郡新宮荘(福島県喜多方市)を支配し、佐原義連の子・盛連の六男・時連を祖としている。」とある。
新宮荘を任されたのが佐原氏ということである。
続く…