新宮氏と佐々木氏との間に、三浦佐原氏や中原氏、亀井氏、などが見え隠れしている。
そして昨夜『相模三浦一族とその周辺史』 鈴木かほる (新人物往来社)のなかに、佐々木氏の中にいる初名為俊で、後の季定を見つけてしまった。
千寿丸(中右記)河内守。 使。白河院の御寵愛…院の切れ者・三浦為俊となっている。
さらにこの本から該当の部分を抜き出してみたい。
『平家物語延慶本』第一本巻一に、平安時代の三浦氏の動きを知る一節がある。
(北面)は上古はなかりけり。白河院の御時、初めて置かれて、衛府どもあまた候けり。中にも為俊、盛重、童より千寿丸、今犬丸などとて切れ者にて有けり。千寿丸はもとは三浦の者也。後には駿河守になさる、今犬丸は周防国住人、あとは肥後守とぞ申しける。…
確かに三浦の者とある。
そして、佐々木為俊に関するweb記事にも、同じように童から活躍している為俊がいる。(佐々木学校)
http://blog.sasakitoru.com/200507/article_15.html
もしも、どちらも正しいと考えると、
為俊(=季定)~秀義~定綱~信綱~重綱のラインの始まりが三浦為俊ということにもなってしまう。
三浦氏のほうでは、為俊の父は章俊、祖父は為資、曽祖父は善里である。
佐々木氏もさかのぼってみると、父は経方、祖父は義経(初名章経)、曽祖父は佐々木成頼である。
さらに善理を調べてみると、訂正増補百家系譜に「 桓武天皇–葛原親王「時忠—時實時發 _ — —有親時繼親顯| -國王惟範「購- - —伊望—善理—僧正覺慶-行親—定家–時範—實親—範家—親範—基親西潤院- (實弟) (實弟)行時- -時當時慶 T 時直時真時成時國時光範篇時容-時義信庸信順・・・」とある。Google booksでは、よくわからない。。。
この中の、善理という人が気になり、調べてみると以下の系図となる。
章俊の下に続くのが為俊である。
佐々木経方の妻は新羅三郎源義光の女となっている。このあたりから何か見えてこないだろうか。
新羅三郎義光~~~義光の子孫は、平賀氏、武田氏、佐竹氏、小笠原氏、南部氏、簗瀬氏と在地武士として発展した。とwikipediaにある。
経方は源経方(平氏の時もある)であり、1115年62歳で没とあるので、だいたい中原成行とほぼ同時代を生きていた人となる。1053年生まれ
ということは、孫である佐々木秀義と中原季仲が同時代ということになる。
そして、新宮行範が実綱・家仲であるとすれば、年代的にはあっていることになりそうである。
秀義の妹聟である熊野別当行範も年代はあっていると思われる。
秀義娘が鳥居禅尼であった場合は、年齢の離れた夫であった場合、年代可能である。
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ここにこだわっていたら、中原の九里の系である【経行】の方が進まない心配が出てきてしまった。
もう少しで何かがつかめそうな気もするが、深追い禁物である。
しかし、成行と経行、経行の息子で成行の方についた人物もいるのではないか・・・・と思うほど、九里と関係がありそうなのである。
新宮氏は、また何かの機会があるまで寝かせておこう~と思う。