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片山御子神社(片岡社)は、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」の母君である「玉依比売命」を祀ったお社です。玉依比売命は賀茂族で最も権威の高い女性で、「賀茂別雷大神」に仕えて祭司を司っておられたと言われています。片山御子神社は第一摂社として上賀茂神社の祭礼でも、まず最初に祭りを行うのが恒例になっています。
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鹿島神宮の境内に住んでいた「片岡氏」は神社関係と思う。
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鹿島神宮は「古く鹿島神宮はクリを主体につくられていた」環境へのまなざし 川添登著
また。貴重なweb情報もあった。↓
『茨城の史跡と伝説』より。
東茨城郡常北町(旧西郷村)は朝房山の北麓一帯をしめ、和名抄にいう那賀郡鹿島郷の地に当たり、
大字古内は朝房山の古名フジフジの名残りといわれている。
ここらあたりを鹿島郷と名付けたわけは、二十年目ごとに造営する定めになっている鹿島神宮修造の材木を伐り出す。
”宮材之山”であるからである。六国史の中に三代実録貞観八年正月の条下に
「是より先、常陸国鹿島神宮司云ふ、鹿島大神宮惣六箇院、二十年間に一度修造を加ふ、
所用材木五万余枝採造する宮材之山は那賀郡に在り、宮を去る二百余里(六町一里)行路険峻、
挽運の煩ひ多し」とあり、五万余枝の宮材というのは栗材である。
鹿島は空気が多量の塩分を含んでいるので、栗材でないと二十年は保てない。
それで遠隔地であり、道も険悪であるが、栗の木が多いこの地方が、”宮材之山”に選ばれたわけである。
だがそれだけではなく、鹿島大明神は奥州塩釜から”金の鷲”に乗って初めて常陸の国に来られたが、
その天降られた地が『常陸国中郡古内山』であるというのである。
で多分今金の鷲なのか載せた方を探っております。
乗った方と載せた方がいっつもわけわからなくなってしまうんですけどね。ただ金はトラブルの原因なので金というと面倒な取り巻きがやってくるような気がします。なのでみにくいアヒルの子くらいだとちゃんと見極めしていない者も寄って来ないので安心です。
いっその事白鳥にならないで欲しいですね。それからドイツのワーグナーのローエングリンだと王子が魔法でそんな事になってます。載せた方もいい一族だけどそれを知らない人が多い方が利用されないように思います。鷲でもいいけど、水鳥の方が古墳の埴輪でも出てきてますけど日本密着で祝とも関係あるでしょうね。
女系ならば多分鉢被せて髪の艶もお顔も隠して誰も近づかないようにして置く手もありますね。
それぞれ一族ごとの役割があり、それを妬んで本来の一族を端っこに追いやっても結局滞る困るのは子孫たち。本来の役目を各一族の子孫が見つける事って先祖供養にも因縁祓いにも必要だと思うんですよね。
天気の子でもそうですけど、押し付けられたらたまったもんじゃない。
カモの姫様は相当苦労したでしょうね。
過去からずっと引っ張ってるならそろそろ変化あるといいですね。
載せた方も知識を身に付けて主人を選んで欲しいですよ。乗った方もお金や権力で動かないと面白くなりますよ。