小堀助政ー助光ー兼光(左近将監)小堀祖と書かれている。
小堀遠州とつながるような気がしてならない。
そして、小堀遠州の三男政尹=小堀権十郎である。
江戸前期の茶人。徳川幕府の旗本。名は政尹、号は篷雪。小堀遠州の三男。はじめ母方の姓浅井氏を名乗るが、のち小堀氏となる。父の後を承け、千石を領した。茶道・書道を父に学び、また画・狂歌にも秀でた。元禄7年(1694)歿、70才
ココで注目したかったのは「浅井」という文字である。
私の系の丹波柏原藩士の九里政道の娘は「浅井伊尹」に嫁いでいる。 関係ないだろうか?
政尹の息子か、養子か、ではないだろうか?
確か六角崩壊後、織田家臣となったはずの九里三郎左衛門が信長にスパイ容疑をかけられた後、誅されたか…と思うのだが、
「浅井日記」にその名が出てきていた。
ひょっとすると、本当に織田の情報を浅井氏に伝えていたのかもしれない。
もう一度見直しが必要だが、九里と小堀、浅井の関係を調べた方がよさそうである。
小堀遠州、加賀藩九里覚右衛門正長の宅に遊びに来て、手紙を残している。
九里覚右衛門のことが出ている。↓
https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/kosekishi/kosekishi_483.pdf
https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/kosekishi/kosekishi_484.pdf